2024年 03月 08日
不機嫌なころ |
先日恩師のことについて書いた折、気がついたことがあった。
忘れていたわけではない。
とくにそのことを追求したことがなかっただけのことだ。
高校時代のわたしは鬱屈していたというか、機嫌が悪かった。
怒り散らしていたのでも、誰とも喧嘩をしたのでもないけれど、始終むっとしていたような気がする。
高校時代のあきらがそうであった。
わたしとも夫ともよくぶつかった。
わたしは誰とも衝突するほどではなかったけれど、あのときの自分だったのかなあ、といまやっと思い当たる。
あきらに手を焼いたけど、自分もそういうところにいたのだ。
あきらの場合は、季節ごとに運動部で練習だの試合だの、仲間としょっちゅうなにかとつるんで遊んでいたのはよかった。
わたしはというと、誰とのつきあいも薄く、自分の殻を厚くするばかりだったのではなかったか。
晴れ晴れとした顔で微笑みを絶やさない級友を見て、どうしてそんなふうにいられるのかわからなかった。
総じて十代の少年少女は悩むのである。
みあもあきらもわりとのびのびと成長したと思うけれど、悩みも苦しみもあった。
いまだってそれぞれあるだろうし、わたしや夫にも葛藤はついてまわる。
でも十代のそれはまた違うような気がする。
家庭やおとなの事情もわかるようになって、醜いことも見えてくる。
親もまた生身の人間であることに気がついて、そのことに憤ったり、批判をおぼえたりする。
自分こそ生半可なのに、そういうまわりに腹が立って、自分の愚かさに気がつかないから余計腹が立つ。
たった十代の自分になにができるのだ、とさらに絶望的になったのではなかったか。
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by ymomen
| 2024-03-08 06:19
| 思い出
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