2024年 03月 29日
アメリカ沢庵 |
初めてマウイ漬けの瓶詰を見たのはデンヴァーの日本食店で、輪切り大根が黄色く染まって液体に浸かっている瓶詰であった。
そのころ、その店の二階にある旅行代理店に勤務していて、当時創立者の娘のEさんと日本人のNさんが共同経営なさっていた。
接客室の奥の部屋で昼食をとり、Eさんのご両親が健在なころは、併設している小さな台所で炊飯もしていたらしかった。
小さな冷蔵庫のなかには、マウイ漬けの瓶詰が常備されていて、Eさんがたびたびそれをごはんと食べていた。
休憩中に訪れる客があると、”お待ちー”と言いながら出ていく、片言の日本語を話すEさんに、いまどきそういう言い方はありえないのじゃないかという日本語指導を、Eさんに誰もが怖れてできなかったことが、あのころもおかしかったが、いままたおかしい。
客には日系人や日本人学生が多かった。
Nさん夫婦とは現在行き来が疎遠になっても、生涯のともだちと言える存在で、夫人のゆみさんはスパムおにぎりばかりか、マウイ漬けのレシピも伝授してくれた。
ゆみさんの作ったマウイ漬けを試食して、そのおいしさを知った。
日本式沢庵の作り方を読んだことはある。
大がかりな仕込みで、一仕事である。
ゆみさんに教わったレシピはかんたんだ。
ただ、砂糖が多い。
大根の砂糖漬けのようでもあるけれど、日本式漬物も洋式ピクルスも砂糖が入る。
すし酢に入れる砂糖の量もかなりである。
菓子を作る以外の料理に砂糖を使うのを好まないわたしには抵抗があるけれど、日本食の買い出しで大根を二本も買えば、いくら大根おろしが好物でもすぐには使いこなせないときもある。
マウイ漬けを作っておくと、すぐに食べてしまわないと、と焦ることもないし、冷蔵庫に入れておけば何か月も保存がきく。
なんにもないとき、炊いた玄米があれば、これと梅干し、スライスしたアヴォカド、もどした芽株、海苔くらいで、わたしひとりなら困らない。
粗食中の粗食、それでわたしにはじゅうぶん。
パンデミック中でも、家族の食事外では、なにがないといって、そう動じることはなかった。
唯一慌てたのは、小豆の買い置きがなく、地元の自然食品店でもコロラド産の小豆の入荷が滞っていたことだった。
こどものころ、時代劇で身を売られた少女たちが土間に近い板の間に座って、食事をする場面を見た。
白い飯に、おかずはどんぶりに盛った沢庵だけで、それぞれが箸を伸ばす。
飯は白米だったのか、麦や雑穀が入っていたのか知らない。
それを見て、かわいそうだとは思わないで、おいしそうだ、わたしならこれでも平気だ、と思った自分をずっと覚えている。
好きなように生きて、食べ物に不自由しなかった自分だからそんなことが言えるのだろう。
実際に飯に沢庵のみで生きてきたわけではない者の言うことだ。
1ガロン容器に、厚めに切った大根を入れ、3カップの砂糖、半カップの塩、半カップの酢、小匙半分のターメリックと、鷹の爪数本を加える。
(こちらの1カップは250㏄)
蓋をして、上下を返して中身をゆき渡せる。
どんどん大根から水分が出てきて、やがて嵩が減り、シロップに大根片が浸っているようになる。
漬けて1週間もすれば食べられる。
冷蔵庫で保管する。
日系アメリカ人の考えついたレシピの一つに違いない。
日本人には奇妙でも、ここでの生活が長くなるにつけ、自分もマウイ漬け化しているんだろうと思う。
日本人のつもりでいるけど、どこか違ってきている。
でもそれで開き直って、ヴァイリスが時を経て、形状を変えていくというのに似ている。
昨年会った日本の姪は、いや、もうガイジンになってる、とわたしを評した。
ああ、まだ日本人でよかった、ガイジンになってしまったらどうしようかと思ったよ、と言ったのは同級生のKくんであった。
日系アメリカ人の思いついたレシピに、餅粉で作る餅バターケーキ、ジェロ餅、チューブ入りの冷蔵ビスケット生地で作る餡饅頭などがあるが、どれもなかなかおいしい。
日本人っていうのは、おもしろいことを考えつくもんだ。
勤務していた旅行代理店はNさんが買い取り、後、人々は自ずから航空券を買うようになり、日本からの旅行、ビジネス客のアシストをする事業に集中し、
パンデミックの到来。その煽りは惨いものであった。
いままたビジネスを立て直しているNさんを応援している。
まだ若かったEさんは、わたしがデンヴァーを後にして間もなく急逝なさった。
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by ymomen
| 2024-03-29 01:01
| 食
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