はれ、のちくもり
2024-03-19T02:51:52+09:00
ymomen
北米コロラド州。雑記。
Excite Blog
春は苦丁茶
http://ymomen.exblog.jp/30859962/
2024-03-19T02:12:00+09:00
2024-03-19T02:51:52+09:00
2024-03-19T02:12:03+09:00
ymomen
健康と美容
春になると、そうだそうだ、苦丁茶を、と思うのは、日本で育ったわたしが春の山菜のほろ苦さを求めるからか。苦丁茶を知ったのは、2007年。
拙ブログに記録しているからで、覚えてはいなかった。
以来、春にも飲むが、ほかの季節にも、体内の洗浄の必要を感じるときに、飲む。
冬眠から目覚めた動物が、山の新芽など、ほろ苦い植物を食べるのは、眠っていた間に溜まった毒素を排泄する本能だと聞いた。
ヒトも寒い季節には脂肪分の多いものを食べる傾向があり、毒素も溜めこむらしいから、そういうものを食べるのは、かなっている。
ふだんから毒素の少ない食生活を心掛けてはいるけれど、苦丁茶を1週間ほど飲むと、からだがリセットされたようで気持ちがいい。
食器洗浄機や洗濯機を、定期的に専用の洗浄剤を投入して空洗いするように、自分の体内を同様にしているつもりでいる。
日常の排泄は、健康に影響が大きい。
尿路感染症になるたび、認知症だった義父は、さらに混乱した。
おそろしい妄想や幻覚を伴うこともあった。
ゲイルのご母堂の認知症の発端は尿路感染症だったとも言っていた。
排泄されるはずの毒素が体内に溜まると、それがまた体の別な箇所へ及ぶとも聞く。
便秘は頭痛や、腰痛、鬱などにもつながる。
ふだんから排泄に問題はなく、頻繁にトイレに通う。
この数日、日に何度その往復をしているか記録したら、少ない日は5、多い日は10回であった。
苦丁茶を飲むあいだは、ことさらその頻度が増す。
大きなティーポットにこの針のような茶葉をたった1本と塩レモン数片を入れて、たっぷりの湯をさす。
よじれて棒状になった葉は、大きいものは数枚巻かれている。
大きいものならポットにひとつでじゅうぶん。
小さいものなら二つほど。
それをどんどん飲む。
空になったら、葉もレモンも捨てずに、もう一度湯を足して飲む。
味は薄くなっているが、風味はまだ残っている。
カップに注いだ茶に殆ど色はない。
苦丁茶のみで淹れると爽やかな緑色になるが、レモンの酸味で色が薄まるのか。
夕方からは、さらに頻繁に飲むので夫とバックギャモンをしていても、たびたび中座することになる。
初めて飲まれる方は苦丁茶の苦さに戸惑われるのが常だが、日本の山菜のほろ苦さの美味に通じるから、すぐに慣れるものだ。
塩レモン入りの水や茶を飲むようになってから、ジムで運動量は変わらないのに発汗量が増えた。
皮膚からの毒素排泄もかなっているということだろうか。
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赤いブザーが鳴っている/ 化粧水
http://ymomen.exblog.jp/30858561/
2024-03-18T05:46:00+09:00
2024-03-18T05:46:38+09:00
2024-03-18T05:46:38+09:00
ymomen
アメリカの季節
頭のなかで赤い音のブザーが鳴る。
住宅地を走行中、スピード違反で捕まる。
化粧水のガラス瓶が手から滑って台無しになる。
コーヒーミルからコーヒー豆がこぼれ落ちて無駄にする。
そのたびに悔しくて、罰金や後かたづけを呪いながら、きょうはそういう日だ、運が悪いということで片付けてしまいがちだけど、そうじゃない。
自分の不注意の結果なのだ。
パトロールカーが辺りにいないのをいいことに、心が緩んで加速していたのだろう。
ぼんやりと瓶を掴んだのだ。
コーヒー豆の扱いにしたってそうだ。
だんだん手の動きにいささかの支障が出てきたが、それならなお意識してものの扱いをするべきのこと。
日常に慣れてしまって、いろんなことに無神経になっているということもあるかもしれない。
いまのところは、些細な”事故”ですんでいることを幸いに、もっと気をひきしめなくてはいけないよ、侮ってはいけないよ、と警告されているのだと思う。
人身事故を起こしてからは遅い。
小さな不注意からどんな後悔を起こすかわからない。
*******
ところで、化粧水というものを使いだしたのは、この20年のことで、それまで洗顔のあと、何にもしなかった。
あんな水のようなものが皮膚になんになるのだ、という侮りがあった。
SKⅡを使い始めて、その効果に納得。
朝晩使う。
きめ細かくなり、染みも減ったし、吹き出物もない。
それから韓国製の安価で優秀なものが、迷うほど数多く出回っているを知って、それらをセールのときに買っておく。
SKⅡに劣らないほどいい、とわたしは重宝している。
基礎化粧品はガラス瓶に入っているもののほうが安心できると、信じてきたけれど、今回ガラス瓶を落として割ったから、プラスチック製でも、と思い直している。
洗顔後、手のひらに数滴落として顔全体にぱたぱたとなじませ、ときにはそれをもう一度。
コットンに染みる化粧水がもったいないから。
そのあとにセラムと保湿剤。
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暖かくなると
http://ymomen.exblog.jp/30857177/
2024-03-17T00:49:00+09:00
2024-03-17T00:49:05+09:00
2024-03-17T00:49:05+09:00
ymomen
アメリカの季節 春
暖かくなると、ビスケットの生地がだれて型抜きしにくくなる。
こういうビスケット、しばらく焼かなかったけれど、この冬はよく焼いた。
鳥の鳴き声も聞こえる季節になったけれど、降雪が続いて、どこで暖をとっているのだろう。
きょうは再び快晴。
*暖かい季節の楽しみ
ベランダに洗濯物を干す。
ミルキーとココ(愛犬)をポーチで洗う。
窓を開けっぱなしにする(暑くなるまでは)。
玄関先に鉢植えの花を植える。
鳥や虫の鳴き声を聞く。
階下の涼しい裁縫部屋に籠って遊ぶ。
寒い季節を待ちわびる。
ブライアンとブラッドの誕生日。
あきらはきょう大学に戻る。
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きょうも雪・アタリ
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2024-03-16T05:21:00+09:00
2024-03-16T05:21:28+09:00
2024-03-16T05:21:28+09:00
ymomen
アメリカの季節
きのうの午後には降りやんだ雪。どんどん溶けてきょうにはもう暖かくなると思っていたら、また降っている。
いったん泣き止んだのに、悲しさを思い出して、もう金輪際冬が来るまで泣けないのだからと泣くみたいだ。
この日が終わっても、5月までにまたいつか雪は降る。
きのうはどこにも行かないで一日家にいた。
前々夜、眠れなくて夜中に起き出して書写を数時間してベッドに戻って、起きたら10時近くになっていたので、一日が短かった。
チョコレートケーキを焼き、チョコレートチップクッキーの生地を作って冷凍、うどんをこねて茹でて小分けにしたり、あきらが持ち帰ったジムパンツの紐を入れ替えたり、夫のシャツの丈をなおしたり。
わたしは一日家にいてもしたいことに困らないけれど、夫にはスポーツ記事を読むことと、スポーツ観戦のほかすることがないので、あきらと、テレビゲームをさせてみてはどうかと企んで、いまどきのゲームには興味がないだろうから、彼がかつて遊んだゲームなら、ということになった。
幸い数年前に誰かからもらったクリスマスプレゼントに、そういうゲームばかりを集めたものがあった。
あきらがテレビに接続して、早速試してみたら、あきらのお守りでしばらくやっていたけれど、また遊ぶかしら。
喫茶店にしつらえたテーブル式のでやったことがある。
ピコピコという電子音が懐かしい。
YMOのアルバムを連想させる音。
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降る・寄付・移民
http://ymomen.exblog.jp/30854646/
2024-03-15T03:40:00+09:00
2024-03-15T10:50:41+09:00
2024-03-15T03:40:51+09:00
ymomen
アメリカの季節 春
昨日デンバーではかなりの積雪があるという予報を聞いた。昨日、隣町のコロラドスプリングスに仕事で出かけた夫は、ぱらぱら降りだしたのをあとに帰ってきた。
夕刻から朝方まで雨が降り、雪に変わったのはそれから。
しばらくは向こうが見えないほどの勢いで降り、降り続いている。
一歩外に出れば、背の高い枝に積もった雪が、小動物が渡るような音を立てて、枝をゆすぶる。
どこからか、同時にすでに雪の解けているちょろちょろという音も聞こえる。
今夜は、つきあいの長い友人夫妻から夕食の誘いがあるのを断っていた。
W夫妻は、ともに長老といえる人格者だ。
夕食の会は、夫人が理事を務める、ある組織の寄付を募るもので、過去におつきあいしたが、その場で小切手を書くだけではなく、銀行口座を提供してこの先数年間の定期的寄付を乞うという類である。
さらには、”この素晴らしい機会にご友人をご紹介ください”というのにも困る。
ある団体に一度寄付をすると、堰を切ったように、その団体からはもちろん、関連団体からの勧誘が来る。
そういう援護団体を支援するおふたりには敬意を表するが、わたしたちは、彼らと違う形でできることをしているつもりなので、春休みであきらが帰ってくるのにあわせて出かける用事があると言ってお断りした。
本意を話せば、とも思ったけれど、わたしたちよりも20は上の方にそんな私見をくどくど説明するのもはばかれた。
我が家は彼らの家から見えるところにあるから、今夜家の灯りに気がついて、なんだ在宅ではないか、と気づかれても、大雪で急遽予定変更になりました、と繕える、ととたんに思いついたのはいくらか憚れる。
あちらの夕食会さえもこの天気のせいで延期されて、新しい期日でまた誘われたらどうしよう、とまで気をまわすのも滑稽なことだ。
この団体への寄付を躊躇する理由は、先に述べたほかにもある。
こどもが産まれる前、わたしは毎週この団体の運営する放課後こどもたちが集う施設を訪れて、クラフトを教えたり、というボランティアをしていて、団体に対する存在をそういうかたちで支援していた。放課後、保護者が帰宅するまでに行き場のないこどもたちを預かる場所である。
それをW夫妻に伝えたことがないし、この会に誘われた理由でもない。
近年違法移民者が急激に増え、それらの子供たちをも養護するので需要は増えるばかりだ。
違法で国境を渡るおとなに罪はあるが、こどもにはなかろう。
それでも、こどもたちを無条件に擁護していれば、おとなはそれを武器にする場合もある。
親ならば、わが子により良き将来を望むのは当然でも、法を敬ってこの国に住むひとはそうではない者を援助するばかりというのも腑に落ちない。
自分自身、結婚時に法に従って弁護士をたててグリーンカードを受理している。
なだれ込むように違法入国している移民問題が、いろんなところでこの国を脅かしているいま、自分がどこに立てば誰を援助できるのか不明確になっている。
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おかえり
http://ymomen.exblog.jp/30852952/
2024-03-14T01:16:00+09:00
2024-03-14T01:16:54+09:00
2024-03-14T01:16:54+09:00
ymomen
こども
あきらは先週金曜日から春休みに入った。
休みに入ったのを待ちかねて帰ってくるだろうと楽しみにしていたのは、夫。
試験や課題から解放されて、ちょっと友達とのんびり遊びたいという気持ちもあるだろうし、とたった一週間の休みだから、帰ってこないならそれでもいい、とゆるく思っていたのは、わたし。
まだ帰ってこないのか、と夫が焦れているから、電話してみれば、と促すと、前の電話は自分からしたんだから、あきらからかけてくるべきだ、とこどもの交際のようなことを言うからおかしい。
ほうっておいたら、月曜日の夜にあきらから電話があって、翌日帰ると報告。
皮肉でなく、無理に帰ってこなくてもいいのよ、と伝えたかったけれど、夫が傍にいたから、気をつけてね、と言って切った。
昨夜帰ってきた。
わたしたちのことを疎ましいというのではなくて、休みのたびに、それが短期のものであればなおのこと、帰省しないで、友人同士でつるみたいというのも自然だろう。
夫が若かったころ、それほど両親と近しい関係だったのかというと、そうでもなく、だからこそ、自分はそういう関係を望んでいるらしい。
うまく子離れできるかという懸念をずっと抱いてきたわたしは、互いのそういう変化を意識している。
あきらの滞在が長くなるにつけ、わたしもかまわなければいいのに、食事だのなんだのと世話を焼くので、それにちょっと疲れてもう大学に戻れば、なんて思うと同時に、しめしめ、これでいいのだ、こうして子離れしてくものなんだ、と自分を嗤っている。
帰りついて何を食べたい、とあらかじめ訊いたらカルボナーラというので、厚切りベーコンを解凍しておいた。
夫と夕食を6時にはすませて、そのときにあとでまたあきらと食べるか尋ねたら、そんな遅くには食べないと言っていたけど、やっぱりあきらと並んで食べていた。
10時近くなっていた。
そうなの、帰ってくるの、と冷めた調子で応えたわたしも、実はあきらの好物の苺のチョコレートがけを作っておいた。
シカゴが実家のルームメイトは、友人とふたりでユタ州あたりへドライブに行ったそうだ。
一緒に行けばよかったのに、と言いかけて、夫がそこにいたので言わなかった。
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昨年夏収穫したブラックベリーで
http://ymomen.exblog.jp/30851696/
2024-03-13T01:10:00+09:00
2024-03-13T01:10:10+09:00
2024-03-13T01:10:10+09:00
ymomen
お菓子
苺のプレッツエルサラダを作ってすぐにMeekさんが遊びに来てくれたので、急遽作ったのは、苺を昨年収穫したブラックベリーを冷凍しておいたものに代えた。
苺の買い置きがなかったからだが、酸味の強いブラックベリーが苺のジェロのなかでまろやかになっておいしかった。
ブラックベリーそのものを食べたがらない夫が、これをまた食べたいというから作った。
痩せたい夫にとっては、これはバター系のケーキやクッキーよりも軽いから罪悪感が少ないそうだ。
クリームに入れる砂糖はごく少ないけれど、乳脂肪たっぷりだからカロリーは少なくないと思うけど。
もうこれ以上はのせられないというほどに、ブラックベリーをのせる。
紅いジェロをまとったブラックベリーは、グロテスクなほどに美しく、かつ美味しい。
おどろおどろしくて、竜の卵ってこういうのかもしれない。
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塩レモン
http://ymomen.exblog.jp/30850456/
2024-03-12T04:18:00+09:00
2024-03-12T04:18:06+09:00
2024-03-12T04:18:06+09:00
ymomen
食
レモンの塩漬けは、使い勝手がいい。ざくざくと切ったのを、広口瓶にぎゅうぎゅう塩と詰め込む。
回を重ねるうちに、そんなにたくさん塩を入れなくてもいいことがわかった。
できるだけ塩を控えるほうが、より多目的に使える。
消費が早ければなおのこと。
一度に二個の割合で切り、前回のすっかり塩の回ったのと混ぜてまた漬ける。
レモンティーにも使う。
夜、大きなポットにアールグレーのティーバッグひとつと塩漬けレモン数片で淹れたのを飲む。
もう今夜はなにも食べない、というときに体内を洗浄するつもりで。
塩気があるのが新鮮なのだ。
昆布茶や、日本茶に梅干しを加える、あの塩気。
緑茶に塩レモンを加えると、酸味と塩で梅干しに通じるものがある。
梅干しが貴重なこの地では、その発見が嬉しい。
持ち歩く水筒にも数片。
野菜をグリルするときにも、塩のつもりで混ぜてアヴォカドオイルと胡椒であえて調理する。
野菜の浅漬けにも。
スープにも。
肉を焼くときに、マリネにも、一緒に炒めても、グリルしても、いい。
もちろん魚にも。
野菜を茹でるときにこれを数片入れると薫りよく茹で上がる。
レモンそのものも、にじみ出た果汁も無駄なく使う。
塩の摂取を控えているひとには向かないけれど、砂糖に比べれば塩はそうそう摂りすぎないと思うがどうだろう。
芽キャベツを、塩レモン、大蒜、黒胡椒、アヴォカドオイルで和えて焼くのはわたしの好物で、食事どきでなくとも菓子をつまむように食べる。
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ぬ
http://ymomen.exblog.jp/30847949/
2024-03-10T07:47:00+09:00
2024-03-10T07:47:32+09:00
2024-03-10T07:47:32+09:00
ymomen
アメリカの季節
こどもが初めて字を習うつもりで、文字を書く練習をしている。
ぬ
というひらがなは難しい。
書けば書くほどに奇妙な”ぬ”になる。
終わりにねじれているから恰好がつかないのかというと、”ね””る”は、それほど難しくない。
20年前に逝ったパットを夢に見た。夫のいとこで、ふたりがつるむと妻が気をもむことが必ずあるという類いであった。
それぞれはそれなりに無害な存在なのに、ふたつが揃うとたちまち化学反応でも起こして爆発するように。
パットは大柄で、彼がいる場所は姿だけでなくてもすぐわかった。
声も大きいし、周りを始終大笑いさせていたから。
夢のなかで、彼はここから1時間ドライブするところに食事に行こうとわたしたちを誘って、なにもそんな遠くまで行かなくてもと思っているところに、気がつくと、誘ったひとの数が大勢になっている。
この町に行く、と広げて見せる地図がコスタリカの地図だった。
そのなかに、父方の唯一存命だが無沙汰している伯母がいたのがまた不思議である。
その相談がどこかの砂浜で行われているのが、さらに奇妙である。
なにもかものつじつまがあわないのは、夢だからしかたがない。
わたしはジムから戻ったばかりだからシャワーをすませてから出かけたいのに、わらわらしていてそこから場を外せないままにもう出発しなきゃ間に合わないとパットが言って、気がついたらどんどんひとはいなくなって、夫も見当たらない。
わたしを残して夫がいなくなるはずがない。
砂浜に忽然と現れた鉄のドアの隙間に夫の見慣れたシャツが見えたから夫の名を呼べば、早くおいでとそこへ招く。
ドアの向こうは地下のトンネルのようで、せわしなく夫とあと数名が速足で進み、わたしが追いつくのを待ってくれない。
やがて姿を見失って、もう一つのドアがあって、そこは映画館。
暗闇に何も見えなくてとにかくドアに近いところに座り、闇に目が慣れてくると、砂浜にいた見覚えのある顔を前列にみつけたところで目が覚めた。
パットも夫も伯母もあそこにいたのだろうか。
いやな夢だった。
何だったのだろうと思い返せば、不吉な気もする。
夢はすぐ忘れる。
淹れた茶が冷めるよりも早く記憶から薄れる。
忘れないうちに書き留めた。
夢というものは、あっさり忘れるのがいいのかもしれない。
そのうちに現実と夢の違いがわからなくなっていくのか。
母がそうだったように。
ひとが数知れない思い出でできているものなら、そのなかにいくつかの夢も混じっているのは誰にもあることかもしれない。
昨夜背中がぞくぞくし、くしゃみが出、耳やからだのあちこちが痛み始めたから、風邪をひいた予感があった。
一夜明けたら、本格的な風邪になっているかもしれないと思っていたら、今朝はそうでもないのに安心した。
あの夢と一緒に風邪をあの暗い部屋に閉じ込めてこれたのかもしれない。
こういうときにジムでみっともないくらいに汗をかくと、体内の病原菌を一掃できるような気がする。
できるだけ体内温度を上昇させて菌を殺す、という図を空想してステアマスターを踏む。
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書き方の自習
http://ymomen.exblog.jp/30846693/
2024-03-09T08:14:00+09:00
2024-03-09T08:14:05+09:00
2024-03-09T08:14:05+09:00
ymomen
アメリカの季節
起きたら、隣人の屋根にうっすら積雪。目覚めてまず愛犬をそとに出してやり、戻ってくれば毛が濡れている。
目を凝らしてみれば降っている、という程度の雪。
なかなかそう簡単には春にならない。
それでいい。
ゆっくり季節が移ればそれでいい。
やがてビスケットの型抜きには暖かすぎる陽気になる。
そうして、灼熱の夏が居座る。
オーヴンを使うに忍びなくて、空気が冷える季節を待つことになる。
階下の私室に籠って書き方の練習をする。
冬はこの部屋がいちばん寒く、電気式ストーブをつけることもある。
お茶をも持ち込むと、ここはわたしの”隠れ家”みたいで、日中はたいがい一人でいるのに、さらに隠れているということにわくわくするというのはどういうことだろう。
日本語も英語も、手書きが下手で、それを恥じているばかりでいたから、書写を始めた。
パソコンで書き物をするばかりで手書きの機会がほとんどないから、上達するわけがない。
あと数か月で60歳になるが、いままっさらな生を受けたつもりで、一から書き方を自習したら、これから数える10歳になる70歳にはいくらか上達しているはずだ。
自分の手は思うようにまだ文字を綴れないけれど、この60年間、目だけは肥えているから、赤子が学習するよりは早いと思う。同時に自分の下手がもどかしいが、しかたない。
これまでに身についた書き文字の悪癖があるので、それらに気がついて、改めて学習することも必要だ。
練習を始めて10日ほどになるが、すこしづつ改善している。
こどものころに書写をした。
繰り返し繰り返し同じ文字や文章を書いた。
そういうふうに自習している。
日本語に飽きたら、英語を書く。
こどもたちが使いきれなかったノートにぎっしり書く。
文字をほとんど手書きしなくなったからか、けっこうおもしろい。
無心に書く。
なかなか良い字は書けない。
ほぼ20年前、地元の文化会館で日本展を手伝った際、久しぶりに毛筆を試みた。
まったく自信がなかったのに、思っていたよりは格好のつく書になったのが不思議であった。
小学校のころ、夏の体育は水泳で、泳げなかったのが苦だったが、ある日泳げる夢を見て、その次にあった授業では泳げるようになっていたこともあった。
義父が再婚した女性は当時60歳をいくつか過ぎていたくらいだったと思う。
彼女の筆記体は気品があって美しかったが、月日とともに文字が震えていった。
このごろ、わたしの手もこわばったり、ぎくしゃくしたり、瓶の蓋を開けるのに苦労したりということを経験するようになった。わたしの文字も震えるようになるのだろう。
関節炎に聞くというサプリメントを服用したり、手の運動やマッサージも試している。
Meekさんが編み物を教えてくださった。
愚姉につきあうように辛抱強く教えてくださった。
どこまでできるようになるかはわからないが、教えていただくということはありがたい。
視力の衰えも感じているが、まだこの手で習いたいことがある。
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不機嫌なころ
http://ymomen.exblog.jp/30845060/
2024-03-08T06:19:00+09:00
2024-03-08T06:19:27+09:00
2024-03-08T06:19:27+09:00
ymomen
思い出
先日恩師のことについて書いた折、気がついたことがあった。
忘れていたわけではない。
とくにそのことを追求したことがなかっただけのことだ。
高校時代のわたしは鬱屈していたというか、機嫌が悪かった。
怒り散らしていたのでも、誰とも喧嘩をしたのでもないけれど、始終むっとしていたような気がする。
高校時代のあきらがそうであった。
わたしとも夫ともよくぶつかった。
わたしは誰とも衝突するほどではなかったけれど、あのときの自分だったのかなあ、といまやっと思い当たる。
あきらに手を焼いたけど、自分もそういうところにいたのだ。
あきらの場合は、季節ごとに運動部で練習だの試合だの、仲間としょっちゅうなにかとつるんで遊んでいたのはよかった。
わたしはというと、誰とのつきあいも薄く、自分の殻を厚くするばかりだったのではなかったか。
晴れ晴れとした顔で微笑みを絶やさない級友を見て、どうしてそんなふうにいられるのかわからなかった。
総じて十代の少年少女は悩むのである。
みあもあきらもわりとのびのびと成長したと思うけれど、悩みも苦しみもあった。
いまだってそれぞれあるだろうし、わたしや夫にも葛藤はついてまわる。
でも十代のそれはまた違うような気がする。
家庭やおとなの事情もわかるようになって、醜いことも見えてくる。
親もまた生身の人間であることに気がついて、そのことに憤ったり、批判をおぼえたりする。
自分こそ生半可なのに、そういうまわりに腹が立って、自分の愚かさに気がつかないから余計腹が立つ。
たった十代の自分になにができるのだ、とさらに絶望的になったのではなかったか。
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Sin Pie
http://ymomen.exblog.jp/30843853/
2024-03-07T10:52:00+09:00
2024-03-07T10:54:57+09:00
2024-03-07T10:52:05+09:00
ymomen
お菓子
Sin PieSin、は”罪”
それほどにおいしいというパイ。
このお菓子をおしえてくれたのは、オヘニア。
ヴェネズエラからやってきたオヘニアは18歳だった。
1980年代後半のこと。
聖子ちゃんのルームメイトで大学からほど近いアパートメントに住んでいた。
同じ棟のアパートメントにすむオマーとオヘニアは同郷で、思いつくと夜中でもメレンゲを焼いたことがあった。
そこに居合わせなかったけれど、電動ミキサーで夜中に白身を泡立てるふたりの姿を思い浮かべて愉しい。
オヘニアはくるりとした目と高い頬骨のさばさばした美少女、オマーはギリシャ彫刻のような彫りの深い整った少年で、ふたりは兄妹のように仲良しで、いくつか年上のわたしには、同腹の仔犬がじゃれあっているような様子が、かわいらしかった。
オヘニアはこのパイをしょっちゅう作っていた。
レシピを訊いたら、クラスト以外はインスタントのものばかりをあわせるというのが奇妙に思えたが、おいしければ、過程はどうでもよろしい、というアメリカらしいお菓子。
料理もおぼつかないはたち前の学生が作れるお菓子、と軽んじても、おいしいものはおいしい。
いまになっても自分が作るものは、かんたんなものばかりだから、偉そうなことは言えない。
オヘニアにもらったレシピをまず紹介する。
*クラスト
溶かしたバター 115g
小麦粉 125g
砕いたピーカン 100g
以上をあわせてパイレックスの底に敷いて、摂氏200度のオーヴンで20分焼き、冷ましておく。
*A
クリームチーズ 8オンス
粉糖 115g
クールホイップ 4オンス
以上をあわせて、冷めたクラストの上にひろげる。
*B
チョコレートプディングミックス 一箱(4オンス)
牛乳 370㏄
以上をパッケージどおりにあわせてAのうえに広げる。
*C
ヴァニラプディングミックス 一箱(4オンス)
牛乳 370㏄
以上をパッケージどおりにあわせてBのうえに広げる。
*D
クールホイップ 4オンス
Cのうえにならして、完成。
冷蔵庫で4時間以上休ませて切り分ける。
今回わたしは、クールホイップを生クリームを泡立てたのに代えた。
Aのクリームを作る段階で生クリームを多めに泡立てたのをクリームチーズにあわせて、最後のトッピングにも使った。
ラム酒をたっぷり加えた。
また、買い置きのプディングミックスのヴァニラの大箱(8オンス)しかなかったので、それだけを使い、これにもラム酒を加えた。
Aのクリームへの加糖を控え、最後にハーシーのチョコレートシロップを帯状に流し、ココアを振った。
プディングの上にココアを振ってから最後のクリームをのばした。
何十年ぶりかに作ったので、みあは初めて食べる。
気に入った。
プディング系の菓子を好まない夫も、意外に好んだ。
プディングをカスタードクリームにしてもおいしいだろう。
ミックスを使わないカスタードクリームのほうがおいしいに決まっている。
その昔、屋外かのポットラックにオヘニアがこれを持参したが、スプーンがなかった。
ブラウンバッグをちぎり切ってスプーンのかわりにしてすくいながら食べた。
こどものころにアイスクリームを買うとついてきた、木製の匙のようにして。
ブラウンバッグの匂いと、紙の湿ったかんじがよくなかったけれど、いまになればあのころのことは、どんなちいさなことも思い出せばなつかしい。
みあに作り方を話したら、わたしにも作れるね、とレシピを乞うた。
この名前で検索したら、ほぼ同じレシピがあられもない名前で見つかった。
アメリカ人はこういう言葉をさらりと言ってのけるが、かなり厚かましくなったわたしでも書くには躊躇する。
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恩師
http://ymomen.exblog.jp/30841881/
2024-03-06T02:11:00+09:00
2024-03-07T02:21:54+09:00
2024-03-06T02:11:07+09:00
ymomen
思い出
いま読んでいる小説の高校生の主人公は数学が苦手で、自分もそうだったから、それだけのことにいくらか同情している。
あのころは、わからないものは、どうしたってわからない、わたしの頭の配線はそういう方面に繋がっていない、とあきらめたところがあった。
恩師の訃報。高校三年時、隣のクラスの担任教師で、数学を習った。
理系にいたが、数学は苦手だった。
くだけた性格で生徒に慕われていた教師だった。
名前が義一、というので、近しい生徒は”ぎいっちゃん”と呼ぶほどだった。
わたしは三年生になると、いったん登校しては勝手に帰宅したり、数学の成績も悪かった。
そんな引け目も、ある程度の開き直りもあって、先生には疎ましがられていると感じていた。
享年79歳。
両親と10-20歳しか変わらないということに気がついた。
高校生だったわたしには、おとなの年齢に無頓着だったこともあろうが、もっとお若いと思っていた。
落ち着いて考えれば、結婚なさってご子息が幼かったのだから、計算はあっている。
渡米し、大学でいちばん成績の良かったのは、意外にも数学であった。
言葉にまだ自信がなかったころのことで、数学はそれを介しない域にあったからか、どういうわけか、ここで習った数学はたやすく理解でき、試験では最高点をとることは珍しくなかった。
高校時代にあんなにわからなかった数学がとたんに易しくなって不思議だったが、そのときそのことを伝えたかったのは、あの先生だった。
わたしにも、数学ができるようになりました、と伝えたかった。
いまのわたしは、あの当時の先生よりもずっと年上だ。
40歳になっておられなかった。
あのとき、先生がわたしという生徒をどう見ていたかと考えれば、わかるような気がする。
担任の先生も、わたしが終業前に自宅に頻繁に帰るのを知っていて何も言わなかったということをあとで知った。
どこかおかしなところに出入りするというのでなく、行き場所が家ならば、と黙認してくださっていた。
問題を起こす類ではなかったが、しらけていて、どう扱えばいいのかと、おとなを躊躇わせる要素がわたしにはあったと思う。
親になって、こどもたちが十代になるのが怖かった。
まわりに、十代のこどもたちには泣かされた、暴言も覚悟するがいい、とさんざん脅された。
そのときが来れば、確かにその年代のこどもたちの迷いや悩みを見て助けてやれない焦燥はあったが、ふたりとも、またその友人たちも良い子たちで、恐れは杞憂に終わったが、ときには痛々しいほど難しい年齢期ではあるのを確認した。
高校時、一体に教師を不敬する授業は多かった。
教師としての職業を全うする間、ご苦労は多かったに違いない。
歯がゆい思いをした日々も募っただろう。
旧友がLINEでそれぞれの想いを寄せ、故郷に住む幾人かは葬儀に参列した。
高校卒業後、お会いしていないから、わたしにもいくらか数学が理解できるようになったことをお伝え出来なかった。
ご冥福をお祈りする。
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酒粕とオートミールで造る甘酒
http://ymomen.exblog.jp/30840273/
2024-03-05T01:50:00+09:00
2024-03-05T01:50:10+09:00
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ymomen
食
麹と玄米で甘酒を造り、それにチアシード、フラックスシード、生姜、コラーゲンを混入したものを朝食にして永い。甘酒というよりは、どぶろくに近いもので、混ぜ物をしているから、なんと呼べばいいのかわからない。
ここでそれがなにかと問われたら、”Fermented rice porridge"、発酵粥、と答えるのは、まずここでは甘酒もどぶろくも知られていないし、日本のひとにこれを供しても、甘酒でもどぶろくでもない、と言われてしかたのないもので、いまだ、わたしのこの、こよなく愛する”どぶろく”を好きだというひとはいない。
わたし流にその造り方は年を経て変化している。
玄米一升で造ると、終わりのほうは発酵が過度に進み、酸味の強いものになる。
菌の繁殖が極まっているということだから、これを基だねに再度米を加えればいいのだろうか、と考えた。
300㏄ほどの終わりの”甘酒”に、水とオートミールを加えてみたら、予測どうりに発酵が進み、それもおいしかった。
Meekさんが、Denver Sakeから譲ってもらった酒粕を、再度分けてくださった。
搾りたての酒粕だから、新鮮だ。
酒精の薫りがすばらしい。
酒粕を麹がわりに使えるのではないか。
玄米のかわりにオートミールを使えば手間が省けるのではないか。
水に溶かした酒粕にオートミール、チアシード、フラックスシードを加えて室温で放置。
オートミールは加熱しないと食べられないとばかり思っていたのが、オーバーナイト・オートミールという食べ方を知った。
夏なら室温では暖かすぎるだろうか。
オートミールはどんどん水分を吸収して膨張する。
日に一度かき混ぜて、好みによるが、2-3日目から食べられる。
わたしは発酵がより進行したのを好む。
これを好みに希釈して温め、生姜なりコラーゲンなりを加えていただく。
玄米を炊く必要がない。
米、玄米がかなり値上がりしたことも、このレシピを思いついた理由だ。
夜、ちょっとなにか温かいものを食べたい、というときにもいい。
水を多くごく薄く、またどろりとした濃度で。
先日数日寝付いたとき、一日はなにも食べられなかったが、翌日はこれを薄めに温めた一椀が格別美味しかった。
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Gooey Butter Cake失作、降雪
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2024-02-29T01:46:00+09:00
2024-02-29T01:46:24+09:00
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ymomen
お菓子
Gooey Butter Cake
Gooey
グーイーと発音して、ねちっこい、とか、べっとりした、という意味。
そういう意味のバターケーキになるはずだったのが、できあがったのは、バークッキーのようなもので、すこぶる甘い。
菓子は甘くて当然。
中途半端に甘さを抑えるよりは、甘いものはそれなりに甘いものが良いと思っているにしても、これは甘すぎて、羊羹かファッジのつもりで小さく切って濃い苦いコーヒーといただくつもりでいただく。
それはそれで美味しい。
夫でさえも、これは”しつこい”と言うほどなので、なかなか消費できないから、こんどみあが来たら持たせよう。
ケーキのはずがクッキーバーもどきになったのは、ベーキングパウダーを底の部分になる生地に入れ忘れたからだった。
その生地の上にのせるクリームチーズの生地に入る粉糖をグラニュー糖に代えたのが甘すぎる結果になったかもしれないが、むしろレシピよりも重量を減らしているのに。
初めて作り、初めて食べる菓子なので、その正しい味を知らない。
トッピングは、クリームチーズ、卵、バター、砂糖を合わせた生地で、チーズケーキともいえる。
ずっと作ってみたかったお菓子なのに残念だ。
底になる生地に、市販のケーキミックスを使うレシピばかりが出回っていて、そうではないレシピを見つけたので作ってみた。
ケーキミックスという類には、得体のわからないものが入っているからいやなのだ。
香料のにおいも人工的。
羊羹のつもりで茶菓子にするものに、バナナ、デイツ、干しイチジクがある。
バナナは皮をむいて、輪切りにして食べる。
これらの甘味は甘すぎもなく、ちょうどコーヒーにあう。
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きのう雪が降った。
家を出たときは、薄いジャケットでいいという陽気だったのに、たちまち薄暗くなってぱらぱら雨のような雪が舞い始めて、歩いていると風をともなって横から吹き付ける激しい降雪となった。
マーケットから出てくるひとは、その吹雪のなかに出ていくのを渋っていた。
わたしは店に入っていくところで、車からのつかの間の吹雪など大したことではないと思えるのに、温かいところから外に出るには心積もりが違うのだ。
早い春めいた陽気を疎ましがっていたら、やっぱりこういうことになった。
コロラドの天気は常に豹変する。
スカーフや数種のジャケットを車に置いたままだったのがよかった。
着込んで車に乗り込んでは、脱ぎ、それをそのままにしているせいで、後部席には何着もの上着が重なっているということになる。
みあの車を覗けば、その悪癖はそっくり彼女にもある。
共通する悪癖をたしなめられない。
今朝は晴れたが、積雪が残っている。
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