2007年 12月 08日
浜さん |
スティッキー・トフィー・プディングを作ったきっかけになった、映画”ローカル・ヒーロー”が、わたしの気に入りの作品になったときのことを、思い巡らしています。
浜さんでした。
その映画を薦めてくれたのは。
ご自分は、もうすでに何度も観ているのに、この映画を観るために、わたしを名画座に連れて行ってくれたのは、浜さん。
変なものだけど、おいしいのよ、
映画館で食べると、もっとおいしいの、
と言って、パンの耳をマヨネーズに絡めて焼いたものを持って行ったような。
もしかしたら、そんなことを話して、実際は映画館に持ち込みはしなかったかもしれません。
でも、その味は、今でも思い出せるくらいですから、パンの耳のマヨネーズ焼きを、どこかで食べてはいるのです。
まだわたしが東京に住んでいた頃のことですから、20年以上前のこと。
そのころ、わたしは”B”という、ある音楽事務所で手伝いをしていました。
仕事と言えないくらいの、見習い期間というようなものでした。
そこの経理を担当していたのが浜さん。
髪の長い、赤い口紅の似合う、わたしより年上のそのひとは、とてもわたしに良くしてくれました。
好きなことを話す浜さんは、子どもみたいな無邪気な微笑み。
そこには女性があとふたり。
愛野さんと、吉木さん。
どちらもわたしよりも年上で、優しかった。
愛野さんという珍しいその名前は本名で、その名のとうり、かわいらしく愛らしいひと。
彼女はミセスで、横浜から通っていました。
その住所も”美しが丘”で、ちょっとうまくできすぎているくらい。
通勤の定期券には、いつでも26歳と書いていると笑っていました。
26歳という年齢が好きだと。
当時、わたしはまだその年齢にも達していませんでした。
吉木さんとは、仕事の帰りに一緒にごはんを食べたりしたことも、ありました。
あんなに気立ての優しいひとが揃っていた仕事場というのは、なかなかないのではないかしら、と当時の三人よりもうんと年上になったわたしは思います。
上司は、佐藤さんとおっしゃる方で、いまも音楽の業界で、ますますの活躍をなさっています。
わたしの仕事ぶりは、彼の期待にそぐわずにわたしは解雇されましたが、彼に対してはではなく、未熟だったわたしに対して不満です。
客観的にそのときの自分を見れば、そうなってやむをえなかったと、思います。
そんな経験も、いまのわたしはよかったと、納得しています。
それだけの存在であったわたしをかわいがってくれた、ということに深く感謝しています。
しばらくの間、幸運な出会いに恵まれて、ちょっとした文章を訂正したり、自ら書いたり、という機会もありましたが、わかったのは自分の力の足りなさと、人間としての幼稚さだけで、自分にできることなんて何もないように思えたものです。
そんな鬱屈さから抜け出して、なんとか自分を変えたいと思ったことも、渡米につながりました。
いま、こうしてブログというかたちで、拙い文章を書いているのは、いまのわたしの書き物の練習。
所詮、素人の文章ですが、”あの時”の自分から少しでも成長したいと思いながら、書いています。
考えていることを、伝えたいことを、いかにひとにわかってもらえるように書くか、ということを学んでいます。
その事務所に、わたしが縁ができたのは、あるコピーライターのアシスタントをしていたからです。
わたしの兄弟子の佐々木さんが、”B”という名の事務所に所属しているミュージシャンの大ファンで、その情熱とフットワークを買われて、佐藤さんのもとで働くようになったからでした。
佐々木さんを通して、わたしの師匠にあたるコピーライターが、そのミュージシャンの広告活動を担当したりもしたので、わたしも佐藤さんにお会いすることもあったわけです。
20何年も前の話。
ほんの短い時の流れでしたが、わたしにとっては、いい思い出。
そして、できれば、浜さんに再会したいと願っています。
連絡が途絶えて、20年以上。
どこで、どうなさっているかと、思います。
浜さんと、”ローカル・ヒーロー”という映画、とても似ているように思います。
美しいものを、美しいままでいて欲しいと切実に願う思い、というのが込められているように。
いまも、”ローカル・ヒーロー”はわたしにとって、特別の映画です。
そういえば、REMやU2を教えてくれたのも、浜さんでした。
”ローカル・ヒーロー”には、スティッキー・トフィー・プディングは登場しませんでしたが、もし再会できて、浜さんにわたしがこのお菓子を作ることになった経過を話したら、あのときと同じ微笑で、おもしろがって食べてくれるに決まっています。
浜さんでした。
その映画を薦めてくれたのは。
ご自分は、もうすでに何度も観ているのに、この映画を観るために、わたしを名画座に連れて行ってくれたのは、浜さん。
変なものだけど、おいしいのよ、
映画館で食べると、もっとおいしいの、
と言って、パンの耳をマヨネーズに絡めて焼いたものを持って行ったような。
もしかしたら、そんなことを話して、実際は映画館に持ち込みはしなかったかもしれません。
でも、その味は、今でも思い出せるくらいですから、パンの耳のマヨネーズ焼きを、どこかで食べてはいるのです。
まだわたしが東京に住んでいた頃のことですから、20年以上前のこと。
そのころ、わたしは”B”という、ある音楽事務所で手伝いをしていました。
仕事と言えないくらいの、見習い期間というようなものでした。
そこの経理を担当していたのが浜さん。
髪の長い、赤い口紅の似合う、わたしより年上のそのひとは、とてもわたしに良くしてくれました。
好きなことを話す浜さんは、子どもみたいな無邪気な微笑み。
そこには女性があとふたり。
愛野さんと、吉木さん。
どちらもわたしよりも年上で、優しかった。
愛野さんという珍しいその名前は本名で、その名のとうり、かわいらしく愛らしいひと。
彼女はミセスで、横浜から通っていました。
その住所も”美しが丘”で、ちょっとうまくできすぎているくらい。
通勤の定期券には、いつでも26歳と書いていると笑っていました。
26歳という年齢が好きだと。
当時、わたしはまだその年齢にも達していませんでした。
吉木さんとは、仕事の帰りに一緒にごはんを食べたりしたことも、ありました。
あんなに気立ての優しいひとが揃っていた仕事場というのは、なかなかないのではないかしら、と当時の三人よりもうんと年上になったわたしは思います。
上司は、佐藤さんとおっしゃる方で、いまも音楽の業界で、ますますの活躍をなさっています。
わたしの仕事ぶりは、彼の期待にそぐわずにわたしは解雇されましたが、彼に対してはではなく、未熟だったわたしに対して不満です。
客観的にそのときの自分を見れば、そうなってやむをえなかったと、思います。
そんな経験も、いまのわたしはよかったと、納得しています。
それだけの存在であったわたしをかわいがってくれた、ということに深く感謝しています。
しばらくの間、幸運な出会いに恵まれて、ちょっとした文章を訂正したり、自ら書いたり、という機会もありましたが、わかったのは自分の力の足りなさと、人間としての幼稚さだけで、自分にできることなんて何もないように思えたものです。
そんな鬱屈さから抜け出して、なんとか自分を変えたいと思ったことも、渡米につながりました。
いま、こうしてブログというかたちで、拙い文章を書いているのは、いまのわたしの書き物の練習。
所詮、素人の文章ですが、”あの時”の自分から少しでも成長したいと思いながら、書いています。
考えていることを、伝えたいことを、いかにひとにわかってもらえるように書くか、ということを学んでいます。
その事務所に、わたしが縁ができたのは、あるコピーライターのアシスタントをしていたからです。
わたしの兄弟子の佐々木さんが、”B”という名の事務所に所属しているミュージシャンの大ファンで、その情熱とフットワークを買われて、佐藤さんのもとで働くようになったからでした。
佐々木さんを通して、わたしの師匠にあたるコピーライターが、そのミュージシャンの広告活動を担当したりもしたので、わたしも佐藤さんにお会いすることもあったわけです。
20何年も前の話。
ほんの短い時の流れでしたが、わたしにとっては、いい思い出。
そして、できれば、浜さんに再会したいと願っています。
連絡が途絶えて、20年以上。
どこで、どうなさっているかと、思います。
浜さんと、”ローカル・ヒーロー”という映画、とても似ているように思います。
美しいものを、美しいままでいて欲しいと切実に願う思い、というのが込められているように。
いまも、”ローカル・ヒーロー”はわたしにとって、特別の映画です。
そういえば、REMやU2を教えてくれたのも、浜さんでした。
”ローカル・ヒーロー”には、スティッキー・トフィー・プディングは登場しませんでしたが、もし再会できて、浜さんにわたしがこのお菓子を作ることになった経過を話したら、あのときと同じ微笑で、おもしろがって食べてくれるに決まっています。
by ymomen
| 2007-12-08 06:41
| 思い出
|
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Comments(2)
もめんさんの若かりし頃の思い出・・・とても面白く読ませてもらいました。
誰にでも苦い青春時代ってあると思います。
でもそんな経験が今の自分に繋がっている、とても貴重な時間だった、と私も思います。
もめんさんが音楽がとてもお好きで詳しいのも音楽事務所にいらしたからなんですね。
何度もこちらのブログに登場するローカルヒーローとの出会いもこんな風だったのか、と面白く読ませてもらいました。
私も最初の職場での上司や先輩など、もう連絡が途切れてしまった人たちといつか再会してみたい、と思います。
あの頃の自分よりずっと成長したところを認めてもらいたい、という気持ちもあります・・・
誰にでも苦い青春時代ってあると思います。
でもそんな経験が今の自分に繋がっている、とても貴重な時間だった、と私も思います。
もめんさんが音楽がとてもお好きで詳しいのも音楽事務所にいらしたからなんですね。
何度もこちらのブログに登場するローカルヒーローとの出会いもこんな風だったのか、と面白く読ませてもらいました。
私も最初の職場での上司や先輩など、もう連絡が途切れてしまった人たちといつか再会してみたい、と思います。
あの頃の自分よりずっと成長したところを認めてもらいたい、という気持ちもあります・・・
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ymomen at 2007-12-10 06:12
Saoriさん、
ほんとうに若かりしときのこと。
これがわたしの青春時代だったのですね。
今思うと、ほんとうにみっともない自分でした。
そんな自分を気にかけてくれた先輩に、今とても感謝しています。
今の自分も、たいしたことはないけれど、せめてあの頃を、落ち着いて客観的に観れるようになりました。
ほんとうに若かりしときのこと。
これがわたしの青春時代だったのですね。
今思うと、ほんとうにみっともない自分でした。
そんな自分を気にかけてくれた先輩に、今とても感謝しています。
今の自分も、たいしたことはないけれど、せめてあの頃を、落ち着いて客観的に観れるようになりました。