2026年 01月 05日
一瞬の不機嫌 |
数人で歓談、食事などしていて、ふと、瞬時であるが、ひどく邪気を含んだひとの表情を見て、どきりとする。
見てはいけないものを見たようで、視線をそらせてまたそのひとを見れば、表情は変わっている。
ひとの感情と顔の筋肉は絶妙に動くもので、ひとと対面していればひとりでいるときよりもに意識しているにしても、案外正直になるものかもしれない。
みあがまだ幼稚園くらいのころ、バレエのクラスで手をつないでダンスをしていた子の手を握りながら、そういう表情をしていたのをとらえたとき、はっ、とした。
別にその子に意地悪なことをしたわけではなかったけれど、清らかにしか見えないわたしの幼子にも小さな邪気のかけらがあるのだ、ということを見せつけられたようでうろたえた。
先日ひさしぶりに会ったひとと会食したが、懐かしく挨拶してテーブルを囲んでいたのに、ふと目を上げたら、彼はそういう表情でわたしを見ていた。
彼とは別になにがあったわけでもない。
義弟の大学時代からのともだちで、義弟の結婚式で会った以来、もう一度会ったくらいのことだ。
別れの挨拶では、穏やかな表情でいたが、あれはなんだったのだろうかと気になる。
愛するべきひとのそんな表情を垣間見るとき、それがわたしに対してでないにしても、ひどく傷つけられた思いがする。
自分もまたそういう顔をしていることがあるのだろうか。
テレビの会談でも、ときどきそういう表情をしているコメンテーターをとらえることがある。
そんなとき、カメラは”しまった!”とつぶやくように、すばやく対象を変える。
公に出るひとでさえも、気がゆるむことがあるのだろう。
夫がそういう表情をしていることを見たことがない。
ひとの話を聞いているようでも、ほかのことを考えているな、というときはあるけれど、悪気のあるというか、邪気を含んだ表情をしていることがない。
ひとに雇われるのを避けて、事業を立ててはいささか成功したり失敗もしてきて、いわゆる一匹狼のような気性だから敵もいるが、そういう対象との関係を切ったり、戦ったりするときに、決して相手を傷つけたいという感情はなかったと思う。
自分が生き残るための選択であり、相手を憎んだわけではなかった。
こういうところにわたしは惹かれているのだと思う。
わたしはむかしのことをよく覚えている。
このひとはわたしほどに覚えていないけど、憎しみのようなことからもすっかり解放されているようだ。
わたしもそうありたい。
by ymomen
| 2026-01-05 03:05
| アメリカの季節
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