2025年 12月 03日
ヴィンテージ・シルヴァーウエア |
何十年に渡って、ひとつふたつ、と拾うように集めてきたシルヴァーウエア。
それぞれ、10セント、25セント、せいぜい50セントの代償のもので、落葉を拾うように集めてきたものだから、揃ってはいない。
黒ずんだり、黄ばんだり、白く粉を吹いたようであったりの哀れな姿を持ち帰り、磨いて他の銀器の箱に収めても、次に箱を開けるときには再び酸化して鈍い色になっているのは銀の宿命だ。
一切を出してみた。
その出所、製造年、なにがどれだけ揃っているか、を確認したかった。
これだけあれば、ほんとうのシルバーもありそうだと期待したが、全てが銀メッキ。
ほとんどがRogers製で、銀器の生産を牛耳っていたのだ。
あとはOneidaの子会社であったCommunity。
いくつかは、フランスからここにたどり着いたChristofleもあった。
唯一純銀に近いものは、わたしが買ったものではなく、義父の祖先が使用した銀のコインを溶かして作ったスプーン3本で、その柔らかさとこればかり使っていたせいか、匙が食器に接触する面が磨滅しているしろものである。
ハンドルさえも、刻まれた模様が限りなく浅くなっている。
銀メッキであっても、色といい、光のはじき方といい、姿といい、いまの始終輝きを失わないステンレスのウェアにないものを持っている。
ある程度数人分には揃っているものもあるが、あとはバラバラであるけれど、しまっておくよりは使おう、と普段使いのシルヴァーウエアを総入れ替えした。
いま使っているものはインターナショナル・シルヴァーウエアのビストロ、というモデルで、姿もいいのだけれど、重量があって、例えばボウルでシリアルなどを食べていると、スプーンが持ち手のほうに落ちる、ということがある。
さらにはあまりの重さに、8人分のセットを仕舞っている引き出しの支えも心配になるほどなのだ。
パリのビストロに似合うようなモデルなんだけど。
食器類は洗い機に入れるが、シルヴァーウエアは手洗いしているから、客をしなければそうたくさんなくてもかまわない。
もてなしのときには揃ったシルヴァーウエアでないとおかしいか、とも、もう思わなくなった。
それぞれのキャラクターをそのたびに愛でて愉しもう。
この際、ステンレス製をすべて仕舞った。
シリアルを食べようと引き出しを開けた夫は、固まった。
こうしたからね、と予告しなかったけど、カトラリーの顔ぶれが総変わりし、しかもほとんど揃わないもので、これはなんだ!と動揺した。
銀器独特の均一でない表面の傷や色合いに、洗ったものなのか、とも訝しがった。
by ymomen
| 2025-12-03 02:20
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Comments(2)
momenさん、こんにちは!
お客様用の器と置いておかずどんどん使うのが断捨離へのヒントのひとつだとありました。 私もちょっと値の張るものは特別な日やお客様ように使おうとなかなか使わなかったりがあるので、そんなに頻繁にお客があるわけでもないし、それもこれからはどんどん普段使いしてしまおうと思っているところです。
最近はダイニングテーブルまわりの椅子も揃えずに全部違うのを使っている人がいるのを見て結構それもありだな、って思ったりするので カトラリーもアリだと思います。 アンティークってどの時代にどんな人に集められたんだろう、使われたんだろうと想像を膨らませるのが楽しいですね。
お客様用の器と置いておかずどんどん使うのが断捨離へのヒントのひとつだとありました。 私もちょっと値の張るものは特別な日やお客様ように使おうとなかなか使わなかったりがあるので、そんなに頻繁にお客があるわけでもないし、それもこれからはどんどん普段使いしてしまおうと思っているところです。
最近はダイニングテーブルまわりの椅子も揃えずに全部違うのを使っている人がいるのを見て結構それもありだな、って思ったりするので カトラリーもアリだと思います。 アンティークってどの時代にどんな人に集められたんだろう、使われたんだろうと想像を膨らませるのが楽しいですね。
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> Ziggyusさん
そうなんですよね。
どんどん使わなくちゃ。
何は揃っていなくては、などと自分の家の自由でいいことにルールを作ってしまうのもつまらないことです。
いまになると、学生時代、なにもかも揃わなかった生活もあれはあれでよかったのだ、とも思います。
あのころ、なにがなくて不自由、なんてこと、ありませんでした。
なくて当たり前、という意識だったあのころに戻りたいとさえ思います。
そうなんですよね。
どんどん使わなくちゃ。
何は揃っていなくては、などと自分の家の自由でいいことにルールを作ってしまうのもつまらないことです。
いまになると、学生時代、なにもかも揃わなかった生活もあれはあれでよかったのだ、とも思います。
あのころ、なにがなくて不自由、なんてこと、ありませんでした。
なくて当たり前、という意識だったあのころに戻りたいとさえ思います。




