2025年 05月 29日
This is yours? |
ひとの心を言葉という音声として発しなくても伝えることができるようになるキカイがあるそうだ。
障害があるひとを救っている。
でも、一般使いには、いけないと思う。
ひとびとの思考のすべてが言葉になって発せられたらー
言葉になるまで、ひとは多くの思考を巡らせるものだ。
きのうゲイルに髪を整えてもらった。
何か月も前から、こどもふたりがそれぞれ大学と高校を同時に卒業するパーティーに招かれていた。
案内状を出すから、と言われていたけど、届かなかった。
届いたのに夫がジャンクメールと間違えて捨てたのかもしれないと思ったけれど、送ってくれたの、と問うのもどうかと迷っていた。
先週末だという気がしたけど、うちはうちで忙しかったからどっちみち行けなかった。
ニコとソフィア宛のカードを渡した。
ゲイルはそんなことをしなくてよかったのに、ああ、ともかくパーテイーが終わってよかった、呑みすぎてくらくらよ、と屈託ない。
こどもたちに渡した案内状もろくに配ってないし、結局郵送し忘れたのもあったのに、賑わったのよ、
というので、やっと、わたしにも来なかったと言ったら、急にはっ、として、え、そうだったの、ごめんなさい、と謝った。
案内状を反故にしたのか、無礼をしたのかと憂えていた。
どう繕えばいいのか、頭の中でぐるぐる考えていたのだ。
鏡に映る自分の片方のピアスがないのに気がついた。
ここでそれを口に出せば、頭を洗ってもらったときにゲイルがなにかのはずみで外してなくしたと責めるみたいだ。
家で落としたのかもしれない。
黙っていた。
ゲイルのところを出てから数分後ー
失くしたピアスの写真と、これ、あなたのじゃない?
というテキスト。
すぐに戻った。
切り落とした髪を履いていたら、床に落ちていたそうだ。
あのとき、余計な気を回さないで、あ、ピアスがない、と言えばすぐに見つけたかもしれなかった。
ひとと会っていても、悪気もそれほどの下心がなくても、例えば既婚なのに、あ、このひとは魅力的だとか、このひとの食べ方は不愉快だとか察することはあって、そう言う意識がいちいち言葉を発しないのに相手に伝わったら誰ともつきあえないだろう。
ときに言葉というものは災いともなるが、テレパシーが誰にも伝わるようになったら、もっと混乱するにちがいない。
自分でもややこしいこと考えてる、と嫌になることがある。
by ymomen
| 2025-05-29 00:03
| アメリカの季節
|
Trackback
|
Comments(2)
momenさん、おはようございます。
確かに。。。本音と建前、と言いますものね。
一度言葉にした事は戻せないし 受けた言葉って発する方よりも重みを持っている気がするので 心に思っている事をテクノロジーが勝手に言葉にするのは 自分で言葉を発する事ができない場合を除いては 私も一般的に考えると反対です。
とっさに 先日の映画館での出来事の事を考えちゃいました。お隣に座った人、見ず知らずの人に私の考えている事が伝わったらどうなっていたんだろう。。。なんて。
確かに。。。本音と建前、と言いますものね。
一度言葉にした事は戻せないし 受けた言葉って発する方よりも重みを持っている気がするので 心に思っている事をテクノロジーが勝手に言葉にするのは 自分で言葉を発する事ができない場合を除いては 私も一般的に考えると反対です。
とっさに 先日の映画館での出来事の事を考えちゃいました。お隣に座った人、見ず知らずの人に私の考えている事が伝わったらどうなっていたんだろう。。。なんて。
1
ziggyさん
おはようございます。
常識的な発言をするひとも、浮かぶ思いはまったくそうでもないはずです。
それであたりまえなのでしょう。
ひとがどれだけ自ずをコントロールできるかというのもまた機知のうちでしょう。
それでもときどき、言わずにいようと意識していたことを発言してしまうこともあって、そういうときは、自分が他人のような、というか、自分の管轄下にない存在のように思えてちょっと茫然とします 笑
おはようございます。
常識的な発言をするひとも、浮かぶ思いはまったくそうでもないはずです。
それであたりまえなのでしょう。
ひとがどれだけ自ずをコントロールできるかというのもまた機知のうちでしょう。
それでもときどき、言わずにいようと意識していたことを発言してしまうこともあって、そういうときは、自分が他人のような、というか、自分の管轄下にない存在のように思えてちょっと茫然とします 笑



