2025年 04月 22日
またね、と言いたい |
雪も解けて、再度作動させた暖房も切るが、風が冷たい。
春色のドレスを着せてもらったこどもたち。
ほの紅い頬と丸い膝小僧がさむそうである。
誘われてみあの教会へ夫と参列した。
みあにとっては、バスケットに詰められたキャンデイよりも価値のあることならば、拒むことはない。
マライアとマークの赤ちゃんに対面。
日曜日のサービスに連れてきたのは初めてだそうだが、一度も泣かないできょろきょろと周囲を見回していた。
黑いちりちりの巻き毛は柔らかく、足の指はリコリスのジェリービーンズみたいに小さくころころしていて、なにもかもが愛らしい。
新しい命のなんと輝いていることか。
みあ、ケイトリン、タマラがミサのあとやってきて、昼食。
芽キャベツのベーコンロースト、サラダ、海老のスパゲッティ、苺のコンデンスミルクがらめ。
ケイトリンはミネソタに住む両親へ電話。
タマラはナイジェリアの両親に電話。
どちらの家族にとってもイースターは大事な日である。
それからひとしきりゲームをした。
げらげら笑って美しい三人を見ながら、これも花見だと思った。
夫がいる幸せ。
こうしてみあに加えて、ケイトリンとタマラが食卓に並んだ幸せ。
わたしは信者ではないけれど、この国に来てから、キリスト教の暦の大切な日々に、数々の知人の食卓に何度も招かれた。
この日の食卓は至ってかんたんなものではあるけれど、ここに来てくれるひとがあるのもまたありがたいことである。
今朝になって、ポープ・フランシスが亡くなったことを知った。
イースターの勤めを果たすまでは、と命をつないでこと切れたように。
或る夜、みあと話していて、わたしはキリスト教に帰依することを考えられるか、と訊いてきた。
自分の宗教を押しつけるつもりないのよ、とこわごわと話しかけてきた。
カソリックの家に生まれた夫は洗礼を受けているが、教会にも行かないが、みあは夫にいまこそ教えが必要だと、そういう類の話をするし、夫もまた応えている。
わたしはそういう環境に生まれていないこと、自分と亡父母とのつながりが仏教と関りがあるようでもあるから、キリスト教への帰依をわたしに持ちかけるのは無遠慮だと思っていたようだ。
キリスト教に反する気持ちもないけど、帰依、というほど熱心な思いもない。
だけど、みあと、夫と同じ宗教を持つことで、死の床で、別れを悲しむよりは、またね、といずれの再会の約束をしたいとは思うのだ。
*写真はブラッドの遺したセイラ―
by ymomen
| 2025-04-22 01:05
| アメリカの季節 春
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Comments(4)
そうかと思いました。
私も反する気持ちもないけど、信じる気持ちもなく、でも羨望の気持ちはあります。
そして肉親にやはりそれとなく、押しつけがましくなく、問いかけられることがあります。そのたびに申し訳ないような煩わしいような気がしていました
またね、といずれの再会の約束をしたいと考えているんだろうなと思うと、もう少し優しく感じることができそう。
私も反する気持ちもないけど、信じる気持ちもなく、でも羨望の気持ちはあります。
そして肉親にやはりそれとなく、押しつけがましくなく、問いかけられることがあります。そのたびに申し訳ないような煩わしいような気がしていました
またね、といずれの再会の約束をしたいと考えているんだろうなと思うと、もう少し優しく感じることができそう。
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akitaさんにもそんな思いがおありでしたか。
みあが洗礼を受けたとき、わたしたちの領域では満足できていないのかという小さな失望のようなパラノイアもありましたが、彼女が自分で見つけたこと、それが彼女のこれからの生きる道具になったというふうに納得しました。
わたしたちをつき放たず、その囲いのなかに招いてくれようとしているのだから、ありがたい行為だと思います。
わたしがいちばんもろかったとき、こんな誘いや信心があったら、また違っていたんだろうとも思います。
死んでも生きても、同じ信念にあれば別れはこない、ということならいいですね。
みあが洗礼を受けたとき、わたしたちの領域では満足できていないのかという小さな失望のようなパラノイアもありましたが、彼女が自分で見つけたこと、それが彼女のこれからの生きる道具になったというふうに納得しました。
わたしたちをつき放たず、その囲いのなかに招いてくれようとしているのだから、ありがたい行為だと思います。
わたしがいちばんもろかったとき、こんな誘いや信心があったら、また違っていたんだろうとも思います。
死んでも生きても、同じ信念にあれば別れはこない、ということならいいですね。
momenさん、こんにちは!
素敵なイースター週末だったようですね。 うちは子供達とはフェイスタイムでおしゃべりした程度で、食事は夫がBBQしたお肉でいつも通りの静かなものでした。こういった祝日や行事はやっぱりわさわさと子供達の声が聞こえる賑やかなのがいいなあ、とちょっぴり寂しくもありました。
素敵なイースター週末だったようですね。 うちは子供達とはフェイスタイムでおしゃべりした程度で、食事は夫がBBQしたお肉でいつも通りの静かなものでした。こういった祝日や行事はやっぱりわさわさと子供達の声が聞こえる賑やかなのがいいなあ、とちょっぴり寂しくもありました。
ziggyさん
うちもとくに何の特別な食卓の用意をなんて考えていませんでした。
いくらか頭がまわっていたら、前回の買い物時に買っておくこともできたのに。
あらかじめひとをよぶ計画をしていると気が重いこともあるけど、とたんに決める人寄せは、たいしたものを作らなくても言い訳しなくていいし、呼ばれるほうも気軽ってこともあるみたいです。
人寄せしないのに慣れると、ますます億劫になるけれど、それが愉しいと、また呼びたい、と思います。
だいたい、わたしも誰しも、ご馳走を目当てに招かれるのではなくて、集いたい、ともだちや家族と時を過ごしたいのが目的なのですよね。
うちもとくに何の特別な食卓の用意をなんて考えていませんでした。
いくらか頭がまわっていたら、前回の買い物時に買っておくこともできたのに。
あらかじめひとをよぶ計画をしていると気が重いこともあるけど、とたんに決める人寄せは、たいしたものを作らなくても言い訳しなくていいし、呼ばれるほうも気軽ってこともあるみたいです。
人寄せしないのに慣れると、ますます億劫になるけれど、それが愉しいと、また呼びたい、と思います。
だいたい、わたしも誰しも、ご馳走を目当てに招かれるのではなくて、集いたい、ともだちや家族と時を過ごしたいのが目的なのですよね。


