2024年 10月 29日
ニューヨーク! |
たった一日マンハッタンにいた。
セントラルパークのレストランでブランチのあと、午後一のブロードウエイショーを観て、グラウンドゼロへ行き、海沿いから自由の女神に挨拶して、タイムズスクエアにあるアイリッシュ・バーでジョージア大学のフットボール観戦パーティーが終わったのが深夜。
Tavern on the Greenという洒落たレストランで、ダンが席をとってくれていた。
その日もまた大人数の動きは遅れがちで、優雅に食事、というよりは、観劇組の義妹、姪、義母、わたしに加えて、ダンが引率役でのんびり食事している男性軍よりも一足先にレストランをあとにした。
人力車みたいで、自転車がひとを運ぶのに乗って移動。
”ハミルトン”
わたしの本音は、観劇に気が進まなかったけれど、出不精のわたしを知るダンは、ニューヨークまで来たんだから僕とショウを観ないのは許さないとまでいうから、おとなしく従った。
かわいい義弟がチケットの手配をしてくれて、まるで”東京だよ、おっかさん”調におのぼりさんのわたしをもてなしてくれているのが嬉しかった。
ショウが終わって外に出るなり、観光客目当てのリキシャがうっそうと待ち構えていて、いつか行ってみたいインドってこういうのじゃないのかな、と思って、いややっぱりほんもののインドにも行きたいのだと思い直した。
グラウンド・ゼロだけは、ぜひ訪れたかった。
そこで夫、義弟、ブライアンと落ち合うはずだったのに、彼らの乗ったウーバーは違う場所に行きついて、そこからグラウンド・ゼロまで行きなおすと、フットボールを初めから見損なうというので、一足先に観戦予定のアイリッシュ・バーに行ってしまった。
あの9/11の日、わたしたちはみあを連れて帰省していて、テレビ報道を見てもすぐには信じられなかったのを忘れない。
あのとき、命を奪われた人々の名前が刻まれている。
ひとりひとりの名前を読まなければそこを離れてはいけないような気がした。
まだあのときには生まれていなかったジャクリーンは、そこからほど近い高層ビルディングで職が決まっている。
わたしたちは、なんと、地下鉄で行った。
なんと、とつくのは、車椅子の義母を同行していたから。
タイムズ・スクエアの雑踏でも車椅子。
あとで、わたしはすごい、なんてったって、みんなとニューヨークを歩き回ったんだから、と自慢するけど、彼女は車椅子に座ったまんまで、わたしたちが車椅子を押して歩いたのに、本人は自力で歩いた気になっているのが、いかにも彼女らしい。
ウエスト・ポイントの広いキャンパスは坂が多く、ニューヨークは当然人が多く、車椅子を押して歩くのは骨が折れたけれど、この春に予定していた彼女のニューヨーク旅行に入院して果たせなかったこともあるから念願の旅だったし、助っ人も常に多勢いた。
呼吸器官が弱くて、出先で救急病院に入院するのも珍しくないのに、今回は無事に旅をこなした。
アルバニーの飛行場で別れるとき、クリスマスにアトランタで再会するのはもちろん、春にはイタリアっていうのはどうか、と強請る元気があるのは見習いたい。
わたしが自由の女神を見たことがないからと、海辺を歩いて、ゆっくり日没を眺めた。
翌日はみな帰宅するし、義母とわたしたち夫婦はリタ叔母のところへ行くことになっている。
ジャクリーンは自分のアパートメントに来てくれなかった、と臍を曲げている。
また来る、と言って許してもらった。
彼女がニューヨークの虜になったわけがわかったような気がした。
21歳の彼女は華やかで美しくて、元気があって優しくて、ニューヨークそのものみたい。
ニューヨークが美しいジャクリーンを離さないのか。
フットボール観戦のバーには、ジョージアファンがほかにもたくさんいて、折り重なるような混雑と賑わいで、隣に座ったのがブライアンだから、応援する声がどんどん大きくなって、わたしのブライアン側の鼓膜がびりびり震えるのがわかるくらいなんだけど、ブラッドがいなくなってみんな辛いなか、いちばん辛いのはブライアンだから、彼の健在を安堵した。
美術館に行く時間もなかったし、もっとニューヨークっ子しか知らないニューヨークを観たかったけれど、家族みんなでわらわらと一日楽しかった。
わたしたちが観劇中、夫たちはメトロポリタン美術館に行って、セントラルパークを歩いて、美術に無関心で、おまけにただひとつ行きたかったグラウンド・ゼロには行けなくて、夫は文句を言いっぱなしだったそうだけど、ダリルとブライアンとそうやってつるんでいるだけで幸せだったのだ。
結婚して旅行というと、ほとんどが親族つきあいの旅行で、ときどきは喧嘩になったり、収拾がつかないこともあって、ただここに行きたいという”純粋な”旅行もしたいと不満だったけれど、いまは、どこに行ってもみんなでこうしてぞろぞろ賑やかに右往左往しているのがいいなあ、と思う。
あれもしよう、これもしようと相談しては、たいてい誰かが時間に遅れたりアクシデントがあって、したかったことの半分もこなせないのが常だけど、その間もずっと一緒にいるからそれでいいのだ。
ジャクリーンとジョリッサがドラッグストアで買い物をする間、ガラス越しに外を眺めていた。
夜10時を過ぎても、ひとの混雑は変わらない。
ショウがはねて、プレイビルを手に歩いているひとたち。
きっとこのひとたちの多くも、どこからか訪れてきているのだ。
靴がなく、汚れた毛布にくるまって街角の壁に向かってなにかをうったえているひと。
人混みのなか地下鉄の階段のまんなかに座り込んで、見えない人と論争していた若者。
こんなにひとがたくさんいても、わたしひとりでここに来ていたら、きっと寂しい。
最後にニューヨーク市内に来たのは、母方の祖父の葬式で、エンパイヤ・ステイト・ビルディングに登る待ち時間に、13歳だったブラッドとブライアンがBen&Jerryのクッキードウ入りのアイスクリームのパイントのカップを舐めていて、どんどん溶けてべたべたになった。
存命だった従弟のパットとチャイナタウンでごはんを食べた。
わたしはいつも、食べ物のことばかり覚えている。
by ymomen
| 2024-10-29 02:07
| 旅
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Comments(4)
車椅子を押しながらの観光、お疲れ様でした。それだけ観たら、もう十分です。観劇・食事・観光、ショッピング、アイリッシュパブとテンコ盛りじゃありませんか。^^
1
オイカワさん
いつかオイカワさんがどこかの通りの日暮れ時が素晴らしいというようなことをおっしゃっていて、ニューヨークに行ったらそこに立ってみたいと思っていましたけれど、そこがどこだったかを確かめることもなく、こういう流れになるだろうという憶測もあって、ただ家族一緒にいられればいい、という一日でした。
いつかオイカワさんがどこかの通りの日暮れ時が素晴らしいというようなことをおっしゃっていて、ニューヨークに行ったらそこに立ってみたいと思っていましたけれど、そこがどこだったかを確かめることもなく、こういう流れになるだろうという憶測もあって、ただ家族一緒にいられればいい、という一日でした。
momenさん、こんにちは!
夫がDCで働いていた頃に 沖縄から遊びに来た両親とバスでニューヨークまで行って観光した時の事を思い出しました。 朝、ホテルで起きてテレビをつけたら 東日本大震災のニュースが入って驚いたのもその日でした。 あれから13年が経ちました。
観光はやっぱりその土地を知っている誰かに付いていくと楽ですよね。 東京や横浜の駅の混雑も辟易しましたが、NYでもやっぱり人込みの中を歩くのは苦手だと感じたので両親にとっては、もっと大変だっただろうなって今頃思い出しては反省しています。
夫がDCで働いていた頃に 沖縄から遊びに来た両親とバスでニューヨークまで行って観光した時の事を思い出しました。 朝、ホテルで起きてテレビをつけたら 東日本大震災のニュースが入って驚いたのもその日でした。 あれから13年が経ちました。
観光はやっぱりその土地を知っている誰かに付いていくと楽ですよね。 東京や横浜の駅の混雑も辟易しましたが、NYでもやっぱり人込みの中を歩くのは苦手だと感じたので両親にとっては、もっと大変だっただろうなって今頃思い出しては反省しています。
ziggyさん
おはようございます。
ああ、そんな災害のあったときで、印象深いのでしょう。
13年、そんなに昔のことに思えませんね。
うちの場合は、義母がこういう混雑というか賑やかなところをうろつくのが好きなひとなのです。
大学試合は試合前の祭り騒ぎも含めて大好きで、ニューヨーク散策をいちばん楽しみしていたのは彼女です。
大学生のビーチパーティにも入っていって負けずに飲酒したこともあります。ホーズの先に漏斗がついているのを口に受けて飲む、ということまでやってのけました 笑。
ziggyさんのご両親はおとなしい方々でしょうけれど、やはり楽しまれたのでは?
おはようございます。
ああ、そんな災害のあったときで、印象深いのでしょう。
13年、そんなに昔のことに思えませんね。
うちの場合は、義母がこういう混雑というか賑やかなところをうろつくのが好きなひとなのです。
大学試合は試合前の祭り騒ぎも含めて大好きで、ニューヨーク散策をいちばん楽しみしていたのは彼女です。
大学生のビーチパーティにも入っていって負けずに飲酒したこともあります。ホーズの先に漏斗がついているのを口に受けて飲む、ということまでやってのけました 笑。
ziggyさんのご両親はおとなしい方々でしょうけれど、やはり楽しまれたのでは?










