2024年 10月 25日
ウエスト・ポイントで |
苦く、哀しく、美しく、慰められながらも、喜びに満ちた旅であった。
いちにち、いちにち、その瞬間、胸のつまる思いがした。
ブラッドが逝ってしまった故の旅。
追悼の旅。
彼が存命していれば、自身が卒業20周年のこの集まりに参加していたのだった。
2004年の卒業生は955名。
うち25名はこの地にはもういない。
遺族と卒業生が集った。
両親のいないブラッドとブライアンは、祖父母、叔父らに囲まれて成人し、今回は大叔父、大叔母など11名がこの会に招いていただいた。
ウエスト・ポイントでの教会で、25名の22歳になったばかりの卒業写真が並び、42歳になった卒業生が参列した。
20年前に歩いたキャンパスを彼らと歩いた。
当時のわたしは、彼らの年齢である。
幼いみあとまだ歩行をしらないあきらを連れていた。
あきらよりも数か月先に生まれた姪のジャクリーンはあのときベッドから落ちて鼻の先を擦りむいた。
美しく成長してニューヨーク大学の最終学年にいる彼女が義母の車椅子を押している。
学生らのなかにも、卒業生のなかにも、ブラッドはいない。
双子のブライアンはもちろんブラッドに瓜二つだけど、ふたり揃わない哀しさ。
参加した卒業生のなかに、男女二組の双子がいて、彼らを見つめているわたしがいた。
ブラッドのかつてのルームメイトや親しかった友人らが、多勢で参列したわたしたちから絶えず傍らに寄り添ってくれていた。
前夜の会食では、亡き友の思い出を語ってくれた。
義母や大叔父の老体は、何度も彼らを待たせることがあったが、誰一人不愉快なそぶりをせず、彼ら自身の親族であるかのように温かかった。
ブラッドの最期を知る彼らはわたしたちへの言葉が見つからない。
それでも彼らの想いは痛いほどに伝わった。
皆それぞれ、合衆国を守る使命とプライドを重んじている。
彼らへの尊敬とわたしたち親族に向けられた贐を忘れない。
ブラッドが軍を引退しても、戦地での話になると矛先を変えた。
そのうち時がくれば話してくれるだろうと思っていたけれど、聞けなかった。
苦しかったことを話せばらくになれるのではないかと助けたかったけれど、戦地を知らないわたしたちにどう話せばわからなかったのだろう。
思い出したくなかったこともあったろう。
彼ら自身同士で分かち合えたのならいい。
それでも、卒業生のうち、今回集まったのはごくわずかであった。
連絡のない者もいるという。
精神を病む者も多いらしい。
彼らにブラッドやすでに逝った者たちのぶんも生きてほしい。
ブラッドの精霊は、わたしたちと、彼が四年共に過ごした友人かつ戦友たちとともにいた。
戦争は終わっていない。
by ymomen
| 2024-10-25 00:45
| 旅
|
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Comments(4)
momenさん、こんにちは、そしておかえりなさい。
色々な感情が盛りだくさんのイベントだったようですね。
人生を長く生きて全うされたお年寄りが逝くことに関しては、まだ納得がいくものの、若者の死、特に身内となるとやりきれない気持ちが大きいかと思います。
夫も湾岸戦争を経験して軍隊をリタイヤしたのですが、やっぱりイラクで実際に見て体験した事はただむごい場面であったことは確かなようですが、あれからもう35年近くになるのに未だにあの時はどうだったと彼の経験を家族の私達にでさえ話す事はありません。
戦争はなくてもいい、いや、あってはいけない物なのに、なぜ人(というより政治家かな)は歴史から学ばずにまた同じ過ちを犯すんだろうと思うと苛立たしいです。
ブラッドさんはきっとmomenさん達の事を見守ってくれているにちがいありません。
色々な感情が盛りだくさんのイベントだったようですね。
人生を長く生きて全うされたお年寄りが逝くことに関しては、まだ納得がいくものの、若者の死、特に身内となるとやりきれない気持ちが大きいかと思います。
夫も湾岸戦争を経験して軍隊をリタイヤしたのですが、やっぱりイラクで実際に見て体験した事はただむごい場面であったことは確かなようですが、あれからもう35年近くになるのに未だにあの時はどうだったと彼の経験を家族の私達にでさえ話す事はありません。
戦争はなくてもいい、いや、あってはいけない物なのに、なぜ人(というより政治家かな)は歴史から学ばずにまた同じ過ちを犯すんだろうと思うと苛立たしいです。
ブラッドさんはきっとmomenさん達の事を見守ってくれているにちがいありません。
1
ziggyさん
こんにちは。
ご主人、湾岸戦争に出兵なさったのですね。
帰りの機中では、同席なさった方はヴェトナム戦争、そしてご尊父は第二次世界戦争に出兵なさった方でした。
戦争がなければそれに越したことはないけれど、国防という名において、常に軍に籍を置くひとがいなくては、というのは変わらないでしょう。
そういう方々のすべてに、Ziggyさんのご主人にも、深い敬意を捧げます。
ブラッドについては、わたしたち親族はみな、どうすれば彼を救えたか、なにが欠けていたのか、と後悔ばかりを思ってきましたが、彼が得たもの、誇りにしていたものも大きかったのだということにも気がつかされました。
ブラッドのためにも、ほかに他界した者のためにも、わたしたちはよりよく生きることが弔いです。
こんにちは。
ご主人、湾岸戦争に出兵なさったのですね。
帰りの機中では、同席なさった方はヴェトナム戦争、そしてご尊父は第二次世界戦争に出兵なさった方でした。
戦争がなければそれに越したことはないけれど、国防という名において、常に軍に籍を置くひとがいなくては、というのは変わらないでしょう。
そういう方々のすべてに、Ziggyさんのご主人にも、深い敬意を捧げます。
ブラッドについては、わたしたち親族はみな、どうすれば彼を救えたか、なにが欠けていたのか、と後悔ばかりを思ってきましたが、彼が得たもの、誇りにしていたものも大きかったのだということにも気がつかされました。
ブラッドのためにも、ほかに他界した者のためにも、わたしたちはよりよく生きることが弔いです。
ウエストポイントですか、私も好きな場所で、結婚式をその古いホテルで行いました。なんだか昔の場所を巡られた感じになります。
オイカワさん
ここで結婚式をなさったのならば、なおさら特別ですね。
美しいところでした。
ブラッドの卒業式ではこどもたちが小さかったせいか、よく辺りを観た記憶がなく、今回は改めてゆっくり拝見しました。
環境といい、建築物といい、全く素晴らしい。
ここで結婚式をなさったのならば、なおさら特別ですね。
美しいところでした。
ブラッドの卒業式ではこどもたちが小さかったせいか、よく辺りを観た記憶がなく、今回は改めてゆっくり拝見しました。
環境といい、建築物といい、全く素晴らしい。




