2024年 06月 03日
終わりが良ければってものでもない |
ナゲッツが負けてから、バスケットボールの試合を観戦する楽しみが半減して、ナゲッツを負かしたミネソタを追うつもりで観ていたら、対戦側のダラスがおもしろい。
接戦だから、最期のクオーターだけ観れば決着がわかる、と前半を観ようとしない夫は、このひとこそがスポーツファンなのにどういうことだ。
思い込みのないチームについてはそういうことらしい。
いまさらバスケットボールがおもしろいと思うようになったわたしは、最初からおしまいまで見たい。
それぞれの選手の性格と動き、チームとしてどう互いを活かすか、対戦するチームへの理解、そのときのゲームの流れにどういう対応をしていくかというのがおもしろい。
途中かなりの点数の開きがあって、それをどこかで挽回する転機も、これだけ差をつけていればあとは、と気を許す空気も見えて、そうするとまた事態は変わる。
点数で勝っても、それがいい試合だとは限らない。
あきらとスポーツの話をしていると、それぞれの選手の契約金まで知っていて、いままであの選手はいいなあと思っていたのに、あんなに稼いでいるならあのシュート率では割が合わないなどということも意見するようになる。
そこまで知ると楽しくないので、稼ぎまでは知りたくない。
ファウルを指摘されたり、シュートが決まると、そのたびに一喜一憂の感情を露骨にする選手も、常にストイックな表情でフラストレーションも一時の喜びにも惑わされないように見える選手もいる。
試合を観れば観るほど、映画やドラマの登場人物のことを知って感情移入していくのに似ている。
ホッケーもアヴァランチが負けたあとも、昨夜はカナダのエドモンドとダラスの対戦を観た。
カナダにとってホッケーは国を代表するスポーツらしく、ファンはアメリカに勝るほど熱狂的で、それを観ているだけでも愉快だ。
試合が始まる前に、合衆国とカナダの国歌を歌うのに、その夜は試合がカナダだったから、カナダの国歌の歌声はずっと大きかったし、誇り高く聞こえた。
バスケットボールの選手のなかには、凝った調髪に気を配る風潮が女性的だと、古いわたしはほとんど嫌悪する。それでも、一時はもっと派手だった。
そういう過剰な装飾的趣味を好まない。
そこへいくとホッケー選手は、パックやスティックの衝撃などで失った歯をそのままの姿でインタビューにこたえていたり、あるがままの姿で、ときには氷上で喧嘩もするし、”演出性”のないのが好ましい。
数年前に夫がコスタリカに行ったとき、その年優勝したアヴァランチの帽子を冠っていたら、カナダ人観光客がやってきて、カナダが勝たなかったことが悔しくて憂さを晴らしにコスタリカまで遊びにきたのに、アヴァランチのロゴをここでも目の当たりにするなんて耐えられないと泣きつくように絡まれて、一緒に呑んだそうだ。
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二階から裏庭にいた兎を撮った。
さくらんぼの樹の下で。
by ymomen
| 2024-06-03 01:55
| アメリカの季節
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