2024年 04月 20日
散歩土産 |
台所から裏の道を見ていたら、顔なじみが犬連れで散歩しているのに、バケツのようなものを手にしている。
散歩途中で拾いものをして帰ってくるのはわたしだけじゃないのか、と嬉しくなったのはつかの間のこと。そのバケツは歩道に掛けられている犬の始末の小袋を収集するもので、風に吹かれて飛んだのを基の位置に戻してくれていただけであった。
幼かったこどもたちと散歩していたころ。
背が低く地面に近いせいなのか、なにもかもが目新しいせいなのか、鮮やかな石ころや野生の花を見つけては立ち止まり、ポケットに詰め込んで帰りついたものだった。
いまのわたしの散歩は、愛犬がよその犬の匂いを嗅ぎつけてうろうろしたり、縄張り確認のマーキングをするのに付き合う程度であるが、わたしもまたときどき拾うものがある。
大抵は、石。
いまは文鎮に具合の良い形と大きさのを探している。
小さなウオッカの空き瓶も拾う。
ホテルの部屋に置かれていたり、飛行機でのサーヴィスに使われる、あのサイズ。
自分で好きな色に調合したインクや、エッセンシャルオイルなどを入れるのにいいと思う。
使い道はいろいろありそうだ。
マウスウオッシュを常用する夫が旅行するときに使えないかと思ったけれど、小さすぎるようだ。
どうしてわたしの散歩道にそんな空き瓶が転がっているのかというと、その道がつながる先は新興住宅地であまり人気がないから、週末ティーンエイジャーが年上の誰かに買ってもらった酒を持参でそういうところに車を停めてつるむのだ。
道路脇にそういう瓶がころがっているのは、二週間に一度くらいだから、走行中に捨てているのだろう。
一度に見つけるのはひとつでも、年月のうちにいくつある。
姿のよい木切れを拾うこともあるが、二頭のリ―シを手にして歩いているから、土産はポケットに突っ込める程度でないと困る。
荷物にならない土産は、蒼い空に姿を変えて浮かぶ雲や、半分透き通っている白い真昼の月、とげとげに丸く開いた昨夏のヒマワリの花の芯の残骸などを携帯電話で撮る。
いまの季節、さまざまな色や姿の鳥を見かけるが、写真を撮るにはわたしの動作が追いつかない。
本の朗読や聴き馴染んだ音楽を聴きながら歩く。
by ymomen
| 2024-04-20 00:31
| アメリカの季節
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