2023年 11月 09日
灯り |
午後遅くなってしまったが、まだ明かりが残っていたから、犬と散歩に出た。
家を出たとたんに、暮れだして、最後の10分は時折通る車にこちらの姿が見えないのではないかというほどに暗くなった。
舞台照明が落ちるほどの速さであった。
家が見える。
夫がすでに帰宅していて、リビングルームがオレンジ色に灯っている。
あそこに夫がいる、というのがうれしかった。
東京で独り暮らししていたころ、夕暮れ時にアパートに戻るのは気が滅入った。
家族が寄り添う家に誰もが家路を急ぐ時刻だったからか。
それならいっそ、夜更けて帰るほうが寂しさが紛れるような気がした。
夫の留守を喜んだのもつかの間、はやりそこにいてくれてありがたい。
ニュースもドラマも、ふたりでああだ、こうだ、と勝手なことを言いながら観るのがいい。
近年はますます言うことも、考えることも、似ていて、片方がひとこと言うと、そう思ってた、ということが多い。
何度も別れそうになったし、いまでもまたそういうことがあるかもしれないと思うから、ひとが別れるという知らせを聞くと、うちはまだ一緒にいて、あのひとたちが別れるというのにびっくりすることがあって、そればかりは夫に言えない。
今回会ってきた従弟も離婚しているが、前妻とは折りあいよく、彼自身にもフィアンセがいると聞いて、夫もそれが理想なのではないかと勘繰るけれど、それも口に出せない。
でもいまはもしそうなっても、かまわないと思っている。
ここまで一緒に歩いてきたひとだから、もうあとはどうなってもいい、心変わりしてもそれはそれで仕方がない。
余生を夫とともにできればいちばんいいけれど、わたしはひとりでもやっていけると思う。
by ymomen
| 2023-11-09 01:34
| アメリカの季節 秋
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Comments(6)
一人でもやっていけると仰るもめんさんは強いですね。
夫より15歳年下の私は、彼の人生が終わるのをそろそろ心の準備して置かねばと思いつつもその日が来たらきっと落ち込むだろうなと思っています。冬の夕暮れにはそんな事を考えさせる気配があるような。
夫より15歳年下の私は、彼の人生が終わるのをそろそろ心の準備して置かねばと思いつつもその日が来たらきっと落ち込むだろうなと思っています。冬の夕暮れにはそんな事を考えさせる気配があるような。
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> sunandshadows2020さん
仲の良い夫婦にも、いつか別れはやってくる。
しかたのないことでも切ないです。
心の準備をしているつもりでも、愛する人を失う悲しさを受け止めるしかしかたがないのでしょうね。
わたしは強くありたい、日々少しでもきのうよりも強くなりたい、と言っても、まるで張りぼてに水に濡らした新聞紙を一枚づつ張り付けているくらいのことで、強がりを言っているだけなのかも。でも自分で大丈夫、なんとかなる、案外強いものだ、と自分に案じていれば、そのうちいくらかは強くなれると思っています。
仲の良い夫婦にも、いつか別れはやってくる。
しかたのないことでも切ないです。
心の準備をしているつもりでも、愛する人を失う悲しさを受け止めるしかしかたがないのでしょうね。
わたしは強くありたい、日々少しでもきのうよりも強くなりたい、と言っても、まるで張りぼてに水に濡らした新聞紙を一枚づつ張り付けているくらいのことで、強がりを言っているだけなのかも。でも自分で大丈夫、なんとかなる、案外強いものだ、と自分に案じていれば、そのうちいくらかは強くなれると思っています。
この文章に触発されて、色々と思い出しました。それについて昨日書きましたけれど、「きっかけ」はあえて触れませんでした。
一人でやっていける強さと二人でやっていく力は、別のものなのかも知れませんね。一人暮らしは長いですが、全くパートナーなしだったらと考えると、いささ不安になります。
一人でやっていける強さと二人でやっていく力は、別のものなのかも知れませんね。一人暮らしは長いですが、全くパートナーなしだったらと考えると、いささ不安になります。
solarさん
おっしゃる記事を拝読しました。
互いの気持ちが離れていたころ、夫婦という殻にふたりでいるのにこんなに孤独ならば、いっそひとりになって孤独であるほうがこれほどの侘しさはないのではないかと思っていました。
それが長かったこともあり、孤独を怖がってはいけない、幸せであるということは、配偶者や恋人がいる、いないにかかわらず、個である状態でそれが満たされるべきだと強く感じていました。
ひとに、なにかに全く自分を預けて生きたくない。
それは相手にも負担だし、自分もまたみじめでありましょう。
solarさんがお書きなられていた、シングルの方ばかりの集まり、いいなあと思いました。個としての存在を分かち合う。配偶者の添え者としてでも、下心を警戒する番犬としてでもなく、
おっしゃる記事を拝読しました。
互いの気持ちが離れていたころ、夫婦という殻にふたりでいるのにこんなに孤独ならば、いっそひとりになって孤独であるほうがこれほどの侘しさはないのではないかと思っていました。
それが長かったこともあり、孤独を怖がってはいけない、幸せであるということは、配偶者や恋人がいる、いないにかかわらず、個である状態でそれが満たされるべきだと強く感じていました。
ひとに、なにかに全く自分を預けて生きたくない。
それは相手にも負担だし、自分もまたみじめでありましょう。
solarさんがお書きなられていた、シングルの方ばかりの集まり、いいなあと思いました。個としての存在を分かち合う。配偶者の添え者としてでも、下心を警戒する番犬としてでもなく、
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


