2023年 09月 17日
夏の往く音 |
就寝時、犬をもう一度外に出してやる。
しばらくポーチに佇んだ。
アスペンの葉がさわさわとざわついて、鈴虫が啼いている。
昨夜は雨が降っていて、雨音が加わり、一層美しく、窓もドアも大きく開けたまま眠りたいほどであった。
煙草をやめられなくて、ポーチの椅子に腰かけている夫には、四種類の鈴虫の音が聴こえるそうだ。
耳をすませば、わたしには二種類までは聴き分けられるが、四種類とは定かではない。
四季を通じて、寒くても暑くても、ポーチで煙草をくゆらす夫は、種類の違う鳥のさえずり、雲、月の様子に敏感だ。
携帯電話でスポーツのなりゆきを追っているか、仕事のやりとりをしているばかりのようでも、意外とそういうところを観察している。
気温も下がって、玄関から見る、アスペンの葉の向こうから漏れる街灯にほんのりと照らされた風景。
風がかき乱す葉と、虫の声に、なにかすばらしいものが、夜のうちにこちらに向かって歩いてきているかのようで、わくわくする。
夏が終わろうとしている。
冬の終わりに未練があっても、夏が終わるのにそんな思いは、ない。
若かったころは、そうじゃなかった。
夏に終わってほしくなかったものだ。
月が隠れて陽が昇れば、まだ夏はそいらじゅうにしがみついている。
歩道に立つ木を仰ぎ見ると、ちらほらと紅く染まった葉がある。
路傍の向日葵も、色を失って、茎が固くなって干からびてきた。
からからの向日葵にまだたくさん蜜蜂が飛び交っているが、蜜など残っているのだろうか。
この土地にやってきたとき、野生の向日葵が荒れ地のいたるところに咲いているのが珍しくて、手折ってテーブルに飾って得意になっていたら、小さな粘っこい虫がテーブルに散らばっているのに気がついた。
よく目を凝らして観察したら、それらは向日葵の茎にびっしりとくっついていていたから、その花を誰に自慢することもないうちに処分した。
野生の向日葵だから、花は小さいが同じ根から茎を分けながらいくつも花をつける。
夏が終わっても、茎は倒れもしないで木のように固くなり、骸骨みたいに枯れてゆく。
農家の直販所に行った。
ビーツもオクラも、もうなかった。
茄子はひとまわり小さくなって、ハリがない。
それでもこの種の茄子はスーパーマーケットでは売られていないから、もうおしまいかと思うと惜しい。
獅子唐に赤く色づいたものが多く混じっている。
小雨が降っていたから人出が少ないだろうと思っていたら、ちょっと離れたところに駐車せざるをえない賑わいで、農家のひとは、今年は天候に恵まれなくてできが悪かったけれど、こうしてここに買いに来てくれる人がいるから救われていると微笑んでいた。
雨で直売所はぬかるんでいて、わたしの靴も車も泥にまみれて帰って来た。
by ymomen
| 2023-09-17 00:51
| アメリカの季節 夏
|
Trackback
|
Comments(0)




