2023年 09月 11日
黄昏 |
左半身の胴体にじんじんと痺れが走るようになって数年。
痛みはないし、動きに支障もない。
医者に行って、あれこれと検査をするのも、その結果を待っている間にあらゆる悪い可能性を思いついて取り越し苦労するのに決まっているから行かない。
このところ、左目の瞼がひくひくと痙攣するようになった。
自分では大きな痙攣に感じるけれど、鏡で見ると他人は気がつかないほどのごく小さな動きだ。
ある友達の涙袋が痙攣しているのを見て、そこで金魚でも飼ってるみたいね、と言ったら嫌がられた。
わたしの瞼の痙攣も、それだけで生活を不都合にしているわけでもない。
からだがところどころ、少しづつ傷んできているんだろう。
この世代で、全くの健康体というひとは少ないのではないか。
わたしも数年前に心臓発作を起こしたし、喘息持ちだ。
友人の多くも、腰や膝の手術をしたとか、乳がんを撤去したとか、甲状腺や糖尿病を患っているとか、なにかとつきあって暮らしている。
義父が昇天した。
3年前に脳梗塞で倒れてから、入退院を繰り返して、蠟燭のたよりない炎が何度も消えそうになりながら細々と灯っていたかのごとく命をつないでいたが、その灯もとうとう消えて、そのあとにひとすじの煙が立ち昇ったみたいに。
肉体の衰えも激しかったが、認知症もあった。
尿道炎を起こすたびに、意識がますます錯乱して、恐ろしい妄想に囚われるのを見るのはむごかった。
見知らぬものが義父のからだに棲みついたかのような奇行を目の当たりにする夫が不憫だった。
数カ月前、転んで腰を骨折して手術を受けたが、再度転び、再手術。
骨折を手術で直せても、認知症は直せない。
治せない内臓器もある。
アトランタの義弟から訃報が届き、悲しみと同時に、やっと義父は苦しみから解放されたという慰めもあった。
レイ・ブラッドベリ―の”たんぽぽのお酒”。
好きな歌を繰り返し聴くように、この本の朗読を繰り返し聴いている。
12歳の少年の、眩しい森での冒険や、蜜蜂の足についた花粉の薫りにむせるばかりの、輝くばかりの夏の物語だと思っていたのに、実はひとがいづれは老い、死んでいくことを描いているのだと気がついた。
こどもが母親にも老人にも、呼び名の外に名前があることに気がついて、夏休みの終わりには新学期が始まり、永遠にともだちだと思って疑わなかった親友が転校していき、命を落とすかもしれないほどの高熱に脅かされ、殺人事件などよその町のことだと思っていたのにこの町で若い女性が殺害された。
寝たきりの老人は、長距離電話のむこうのメキシコの街の喧騒を聴いて旅をしているつもりだ。
芝を刈る老人に、親切心に刈る必要のない芝を植えてあげようと持ちかけると、夏に芝を刈る薫りを嗅げなくて、芝刈り機の唸る音を聴けなくなったら、夏が台無しになると怒る。
雨が降り、芝が伸び、それを刈るのが人間の暮らしなのだ。
自分が死んだら、好きにするがいい。
若かったころには世界中を旅した老婆。
もうじき彼女の灯も消える予感を受け止めている。
安らかにその時に臨んでいる。
わたしはもうじき60歳になる。
人生の半分はとうに過ぎている。
わかかったころに、と前置きして思い出を語ることが多くなった。
過去30年間はあっという間で、30年前にあったこともそれほど昔のことに思えない。
向こう30年というと、わたしはほぼ90歳になっていて、もうここにいない可能性は大きい。
白髪も皴も目に見えるのだから、見えないところが老化しているのも当然だ。
明日死んでもいい覚悟はないし、命ある限りは生きることを大事にしたいが、同時に老いも受け止めている。
夕焼けはほんの短い時間だからこそ美しい、延々と長引けば悲劇である、とブラッドベリ―は綴っている。
老人には命の終わりが近いだけで、少年にも、若者にも、壮年期のだれにでも、いつかその日はやってくる。
生を授かれば、それが尽きる日が誰にもやってくる、
みんないつかは死ぬのに、日々の暮らしは何になる。
寝乱れたベッドを整えないこどもに、また夜になればもぐりこむんだから同じじゃないかと抗議されるのに、だってそれが人間らしい暮らしだから、とさとすように。
汚れた食器を洗って仕舞う、入浴して髪を整えて清潔な洋服を着る、役にたつことを覚えて暮らしを紡ぐ。
自分ではまだ老女のつもりはないけれど、55歳以上のシニアディスカウントが効くところでは、その恩恵に与かって恥じないし、ジムで”young lady!"と声をかけられるのは、いまやわざとらしいしうっとうしい。
”あなたほどステアマスターをこなすのはすばらしい、若いひとにだってできません”という誉め言葉はすでに若くないことを語っている。
ひがんでいるつもりはないけれど、気をまわされるのが気に障る。
常に年齢を意識しているつもりもないけれど、自分が人生のどのあたりにいるのかは思いめぐらす。
過去30年間は先のことを考えずに暮らしてきたような気がする。
こどもたちの学期や行事に追いつく程度でいたのではなかったか。
これからは、人生の片づけもしていかないと、と思う。
料理を進行しながら、同時に出る洗い物も片付けていくように。
*****すべての写真は義父。
by ymomen
| 2023-09-11 03:55
| 暮らし
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Comments(4)
momenさん、こんにちは。
お義父様のご逝去、こころからご冥福をお祈りいたします。
私も最近はよく 両親の事、そして自分のこれからの事をますます考えるようになりました。 私もmomenさんと同年代で もうすぐ還暦を迎えます。 私は自分がこの世から去ることよりも 認知になる方が怖いです。 自分の夫や家族の事をわからなくなるほど長生きしたくないとさえ思ってしまいます。
この間、夫と映画館に行ってチケットを買う場面で、私達が何も言わないのに カウンターのスタッフが親切にも”シニア”チケットと打ち込んでくれたのですが その時に”ああ、もう外見でシニアと思われてしまってるんだ。。。”とちょっとがっかりしましたが、夫はほとんどグレーヘアなので それが理由じゃないかと かなり自己中な方向に持って行って自分を無理やり納得させたり。笑 見た目だけでなく、つい最近お寿司の食べ放題に行った時にも 今まではみんな2度目のオーダーを入れていたのに それほど食べられなくなってしまっていて さすがに食欲も衰えるほど体も老化しているということを思い知らされました。
momenさんの文章は まるで小説を読んでいるような気分になります。もっと読みたくなるような文才、憧れます。
お義父様のご逝去、こころからご冥福をお祈りいたします。
私も最近はよく 両親の事、そして自分のこれからの事をますます考えるようになりました。 私もmomenさんと同年代で もうすぐ還暦を迎えます。 私は自分がこの世から去ることよりも 認知になる方が怖いです。 自分の夫や家族の事をわからなくなるほど長生きしたくないとさえ思ってしまいます。
この間、夫と映画館に行ってチケットを買う場面で、私達が何も言わないのに カウンターのスタッフが親切にも”シニア”チケットと打ち込んでくれたのですが その時に”ああ、もう外見でシニアと思われてしまってるんだ。。。”とちょっとがっかりしましたが、夫はほとんどグレーヘアなので それが理由じゃないかと かなり自己中な方向に持って行って自分を無理やり納得させたり。笑 見た目だけでなく、つい最近お寿司の食べ放題に行った時にも 今まではみんな2度目のオーダーを入れていたのに それほど食べられなくなってしまっていて さすがに食欲も衰えるほど体も老化しているということを思い知らされました。
momenさんの文章は まるで小説を読んでいるような気分になります。もっと読みたくなるような文才、憧れます。
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ziggyさん、
おはようございます。
義父へのお言葉、ありがとうございます。
体が衰えても、意識だけはしっかりしていたいですが、どうすればいいのでしょうね。
シニアディスカウントね、
あるキャッシャーの方が、客がそうあらかじめ言ってくれればいいけれど、そうじゃない場合、親切心にシニアですかと訊いて客の機嫌を損なうこともありえるし、ディスカウントしないで気が利かないと同じ結果を招くこともあるから気を遣うという弁でした。
美味しそうなお寿司、召し上がっておられましたね。
そちらはまた美味しいところがあちこちあるようで、悩ましいことでしょう。
文章の稽古、小学校での作文のつもりで書いています。
伝えたいことを文章にするのは難しいです。
おはようございます。
義父へのお言葉、ありがとうございます。
体が衰えても、意識だけはしっかりしていたいですが、どうすればいいのでしょうね。
シニアディスカウントね、
あるキャッシャーの方が、客がそうあらかじめ言ってくれればいいけれど、そうじゃない場合、親切心にシニアですかと訊いて客の機嫌を損なうこともありえるし、ディスカウントしないで気が利かないと同じ結果を招くこともあるから気を遣うという弁でした。
美味しそうなお寿司、召し上がっておられましたね。
そちらはまた美味しいところがあちこちあるようで、悩ましいことでしょう。
文章の稽古、小学校での作文のつもりで書いています。
伝えたいことを文章にするのは難しいです。
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
私の義父は3年前、97歳、長寿を全うしました。
そして義母は現在98歳、まだ頑張ってもらいたいとおもっています。
木綿さん、還暦は一つの通過点、私からすれば羨ましい。
私の義父は3年前、97歳、長寿を全うしました。
そして義母は現在98歳、まだ頑張ってもらいたいとおもっています。
木綿さん、還暦は一つの通過点、私からすれば羨ましい。
オイカワさん
ありがとうございます。
お義母さまもますます健やかでおられますようおいのりいたします。
命を全うする、ということはわたしの義父にも言えました。
多くのことがあった人生でした。
この時点で、わたしよりも強かった身近なひとが、事故、癌などでここまでこれなかったのに、わたしは生き延びているということが不思議なようでもあります。
かけっこで、いつも最後だったわたしがまだレースから、はねられないでいる。
ありがとうございます。
お義母さまもますます健やかでおられますようおいのりいたします。
命を全うする、ということはわたしの義父にも言えました。
多くのことがあった人生でした。
この時点で、わたしよりも強かった身近なひとが、事故、癌などでここまでこれなかったのに、わたしは生き延びているということが不思議なようでもあります。
かけっこで、いつも最後だったわたしがまだレースから、はねられないでいる。





