2023年 06月 12日
蛍が舞う夜 |
博多近郊に住むえりこを訪ねた。
わたしにとって、はじめての”アメリカ”は、幼馴染のえりこ。
カリフォルニア州フレズノ生まれの彼女のアメリカの名前は、ジョイス。
10歳で帰国して、すぐには日本語が話せなかったから、1年生のクラスに入って言葉を覚えるうちにどんどん上の学年に上がった。
えりこのお祖父さんの商いがわたしの生家のすぐそばだったこともあって、仲良しになった。
千石やという、広瀬神社のすぐ下にある、姫だるまと"はら太"という竹田名物のもち菓子で知られる老舗だ。
えりこがお祖父さんに甘えて離れないと、”しゃーしい”と言って怒られると拗ねていた。
うるさい、という意味の竹田の方言である。
日本語がおぼつかないえりこが、”しゃーしい”というのは愉快であった。
えりこに出会わなかったら、わたしは渡米しなかったかもしれないとさえ、いまになって思う。
えりこの家は町はずれの湖畔で旅館を営んでいて、たびたび泊まりに招かれた。
わたしよりたったひとつ年上なのに、湖でひとりでボートを漕いだり、炒り卵を弟のために作ったり、人形の服も縫って、なんでもできた。
ボウルに卵を割りいれてほぐしてからフライパンに流さないで、割った卵をいきなりフライパンに落としてかき混ぜるのを見て、そんなやり方があることにこどもだったわたしは感心し、自分の誕生日にチョコレートケーキを作ってハーシーのフロスティングでコーティングしているのを見て、わたしはすっかり魅せられてしまった。
バグラデシュで海外青年協力隊をつとめ、そこで出会った信吾さんと結婚して、こどもに恵まれなかった彼女はいま里親として、五人目の幼児を預かっている。
こんなにこどもってかわいいのね、こどもを育てるってこんなにたいへんなのね、と涙を浮かべながらいまの幸せを話すえりこ。
あまりかわいいから養子にしたくても、わたしよりちょっと年上のえりこは、この子が二十歳になったら、自分たちは八十歳になるっていうことだから、こどもにかわいそうなことになる、と現実を見つめている。
障害を持つ子だから、成人しても親の助けを必要とするはずだ。
もつ鍋をご馳走になった夜、蛍を見に連れて行ってくれた。
田ばかりのところ。
ほんの短い間にしか見れない好機に行ったのだ。
アメリカではミシガン州で蛍を見た。
ミシガン州アンアーバーに住む叔父夫婦を訪ねたのは、あきらが産まれる前。
叔父夫婦は寝室をわたしたちに譲って、自分たちは裏庭に建てた小さなテントみたいな小屋で休むという。
恐縮がっていると、夏になると客がなくても、そこで眠るのが好きだから気にすることはない、と笑っている。
蛍を見ながら眠ると言っていた。
その叔母はそれから間もなく癌で亡くなった。
癌を発見してから、余命はわずかであった。
煙草を吸わない叔母が肺癌を患ったのは、オランダのナチスから逃げて来た過程のせいだと連れ合いのジョージ叔父が言っていた。
ほんの二〇年前のことだったから、ナチスなんて、そんな大昔のことを言っている、と現実に知っていた叔母の過去とつながる話には思えなかった。
アンアーバーは日本の夏のように、湿気がある土地柄だった。
コロラド州に住んでいるみあとわたしには、暗闇のなかで光を放つ蛍の姿が見えるだけでうれしいのに、ある時刻になるとそれらが一斉に飛び立つのを見せたいと、えりこは残念がる。
蛍が水路の脇を低く飛び交うだけでは(わたしたちのためには)満足できず、もうひとつ知っている箇所に行ってみようと移動。
信吾さんがかわいい幼児を抱いて、えりこは暗闇のなかをどんどん歩いて、竹林のなかに入っていく。
トレイルになっているらしく、勝手がわかっているのかもしれないが、あたりが真っ暗だし、雨が降ったあとで地面はぬかるんでいるし、赤ちゃんもいるし、不安になって、もういいよ、と声をかけたいけど、えりこはわたしとみあにどうしても蛍が飛び立つところを見せたくてなかなか諦めない。
蛍は水のきれいなところにしかいないそうだ。
里子のTくんは、えりこと信吾さんというきれいな水で育っている。
えりこも信吾さんもやさしい。
わたしたちが会いに寄ったのをひどく喜んでくれている。
わたしたちも会えてうれしかった。
蛍の夜。
沙漠のようなところに住んでいるわたしは、またいつか蛍を見ることがあるだろうか。
命短い蛍は、終点の近い命も、真新しい命も、やっと親になった夫婦も、異国に住む母親と娘をも、楽しませてくれた。
ずっとずっと忘れない。
by ymomen
| 2023-06-12 02:59
| 帰省
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