2022年 12月 20日
歌う告別式 |
うちと同じ袋小路に住むお宅のご主人が昇天なさった。
ほんの数日前に郵便受けを開けている姿を見かけたから、床についていたようには見えなかった。
互い車ですれ違えば会釈をするくらいのつきあいだったが、20年を超えるご近所さんだから、告別式に伺った。
未亡人はここの宅地の外観のデザインの見張り番のような係をしている数人のうちのひとりで、うちが犬を飼ってそのための柵をブリックと鉄棒で建てたとき、ブリックを使うのはこの宅地のルールに反しているとやかましく、夫もそういわれて引き下がるひとではないから、数カ月もめた。
それでもそのあとは、彼女と買い物先で出会えば、あの件はすんだこと、というふうに朗らかなまでに挨拶をしていたから、諍いを気に病むわたしは気持ちが軽かった。
告別式は教会で行われ、セレモニーが始まって、神父、故人の弟の言葉のあとは、故人は歌を歌うのが大好きで、いつも歌を歌っていたから、というので、親族やら友人らが、堂々とソロで歌うのだ。
故人が歌ったのを録音したテープも披露されて、それは素人がただ慰みに歌うというよりも、訓練されたほどの歌いようで、次々に歌うひともみな玄人並みにうまい。
ひとまえで話すのも非日常のことなのに、独唱するなど舞台なれしているというか、よほどこういうことに慣れているひとたちなのだろう。
故人の人柄も、冗談でひとを笑わせる、クレージーといとおしさをこめて形容される性質だったそうで、スライドで映し出される写真は、ころげるように笑っていたり、孫を抱いて嬉しくてしかたがないといったような表情だったりで、ごく近所に住んでいながらまるで彼のことを知らなかったわたしは、そのときこそが初対面であるかのようだった。
それから数週間経って、スーパーで未亡人を見かけ、とてもいいサービス(告別式のこと)でした、あんなに見事にみなさんが歌われて、ご主人、天国で喜ばれていますね、と言ったら頷いておられた。
先日彼女はひとりで家の周りにクリスマスのライトを飾っていた。
今年は早々から知人が他界され、数度お別れの式に並んだ。
そのたびに夫が出張かなにかの用事で、ひとりで出向くのがうらめしいようでもあったけれど、コロナ禍のなか昇天した父の臨終にも葬儀にも帰られなかったわたしは、ここから父のいるところに旅立つひとを見送って、父によろしく伝えてほしいという願いをこめる。
by ymomen
| 2022-12-20 09:08
| アメリカの季節
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