2022年 11月 12日
うちの米事情 |
日本を離れた暮らしが35年になろうとしていても、米のない生活はありえない。
日本の米に勝るはずはないにしても、アメリカの米をありがたくいただいている。
常食しているのは、Tsurumaiという玄米。
鶴舞なのか、鶴米なのか。
麹造り、またときどき食用にも使う白米は、Kodaか、 Kokuho。
地元のスーパーで買える米は、白米のNishikiの小袋のみで割高だから、デンバーの日本食のお店で買う。
この数年のうち、この辺りでは日本人が減り、韓国人が増えた。韓国系の大きなスーパーができて、そこには日本の食材もいくらかある。日系のスーパーは小さいままで、客足も寂しいようで、閉店されては困るから、ちょっと遠いけどできるだけ行く。以前はTsurumaiの50パウンド袋を買っていたけれど、見なくなって久しい。
日本食の店は、コロラドロッキーズの野球場のすぐそばで、野球のシーズンはゲームがある日だと、駐車に困ることになる。
あきらが高校時代に遊びに来ていたともだちが、地下に保存してある米袋を見て、どうしてあんな大きな米袋があるんだと珍しがった。日本人だもの、お米がきれたらおおごとです。アメリカ人はパンを食べるからって、大きな小麦粉の袋を常備してるかっていうと、誰もが自分でパン焼くっていうわけじゃないから、そんなことはない。自分で焼くにしても、大きな小麦粉袋買うってこと、まずないでしょう。
アラブ人の友人がご馳走してくれる米料理もおいしい。
長細いお米を教えられたとおりに調理しても、友だちが作ってくれるほどおいしくできない。
その友だちがうちで食べる米もまたおいしいと言う。
互いに自分では料理しないものだから、珍しくおいしいと思うのだろう。
玄米を炊くのはインスタポット。
インスタポットを買うまでは圧力釜を使っていた。
インスタポットだと圧力釜のように熱源の近くにいて、火力の調整をしなくていいのがいい。
白米を炊くのは象印の電気釜。
産後病院のベッドで、まず食べたかったは、梅干し入りのおにぎりだったけれど、叶わず。
帰省すると、空港に迎えに来てくれた母は、必ずおにぎりを用意してきてくれたし、滞在を終えて実家をいとまするときもまた、おむすびを持たせてくれた。ゆかりを混ぜたむすび。母の炊くごはんは柔らかめ。わたしは固めが好み。夫は柔らかめがいいらしい。
夫はときどき白米を恋しがる。炊きたての白米にバターをのせて、金色に溶けるのを混ぜるのが好きだ。
先日歯の治療を受けて、固いものはよしたほうがいいというときに欲しがったのがそれだった。
それに蜂蜜とちょっぴりの溜醤油をたらしたのもいいが、バターのみというのがいちばん好きらしい。
みあはいまダウンタウンでアパート暮らしをしているけれど、よく訪ねてくる。
行く、と言って来るときは何か料理するけど、突然来ると何もないときもある。
そういうときは、玄米ご飯、海苔、アボカド、溜醤油で満足している。
ときどき、ご飯をほおばりながら、あー、日本人で良かった、と日本語を話せない半分日本人の娘はため息をつく。
都合よくコストコでタイガーの電気釜がセールになっていたから、五合炊きをみあに買った。
コストコは隣町まで行かないとないから、店舗まで足を運ぶのは稀だけど、オンラインでのセールはよく利用している。電気釜と車は日本製に限る、と信じている。
先日、日本のテレビドラマの”日本沈没”をNetflixで観た。
お終いに、海を見ながらふたりの主人公がおにぎりを食べているのが、とてもおいしそうで、かつ、そうなのよねえ、日本人なのよねえ、と勝手に同志であるかのようにうなずいた。わたしたちにとって、おにぎりに勝るものはないのではないか。人生最後に食べるものは、と問われたら、わたしはたっぷり海苔を巻いた梅干しいりのおにぎり、と答える。
“千と千尋の神隠し”で、千尋がやっと落ち着き先が見つかって、ほっとして頬張っていたおにぎりもおいしそうだった。
まだ小さかったあきらが、玄米のほうがおいしいと言うのをいいことに、それ以来、玄米ばかりを常食にしている。白米派の夫も玄米のほうが体によいと知っているから、ふだんは黙って食べている。
ときどき、スパムおにぎりを作る。
こどもたちのスポーツ観戦、ドライブ、ピクニックというと、よく作った。
こっちに住むようになってから知り合った、日本人のともだちにスパムおにぎりを教わった。彼女はこんがり焼いたスパムにちょっと醬油をたらしてから、おにぎりと海苔を巻いた。スパムの塩味がごはんに染みて、おいしい。
日本にお住まいの方のブログを拝読していると、新米を堪能されている様子がつくづく羨ましい。
こちらでも、秋が深まったころ、New Crop、と特別に貼られたステッカーの米袋を見たことがあるが、ごくたまにしかデンバーに行かないし、行けば、ストックがないときもあるTsurumai を5-6袋も買って帰ることもあって、鮮度にはあまり注意をしない。
それらのいわゆる日本種とよばれる米は、日系アメリカ人によって育てられる。
わたしよりも先に渡米した、日本人が、ここに住むと決めて育くむ米。
日本人なら米さえ、米こそあれば、どこの市民権を摂っても、日本人であることを忘れないで生きていけるのではないか。みあとあきらも茶碗にご飯粒を残さずに食事するようになったのは、コメ信仰が伝わっているということか。ピッツアの耳を残すのももったいないけれど、米粒が食器に残るのを見るのはさらに気になる。アメリカの田植えは、こどものころテレビで見た、水田にかがみこんで田植えをするという図からははるかにかけ離れているらしいが、米一粒も無駄にしては申し訳ないという教えは忘れない。
ハワイで、日系人がかつて営んだコナコーヒー農家を訪れた。
暑い土地でのコーヒー栽培はまだ機械化の前のこと、骨が折れたに違いない。
吹き抜けの大きな土間のある簡素な家で、かまどがあった。
毎朝ごはんをたくさん炊いて、おにぎりを大量に作って、それを持って子供たち総勢で畑に出かけたという。
土間が台所になっていて、流しは大きな窓に面していて、使った水は、すぐ外の水路に繋がる。
釜を洗うと、いくらかの飯粒が流れる。
飼っている鶏がそれを並んで啄んでいたと聞いて、愉しくなった。
クリーミーで甘いものが欲しくなると、ごはんをたっぷりのミルクで煮てコンデンスミルクを加えて甘くするプディングをつくる。食べるときに、ヨーグルトやバナナを混ぜることもある。
by ymomen
| 2022-11-12 07:16
| 食
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