2013年 09月 20日
好きか嫌いか |
彼が好きだ
と言わないで
彼のことを好きだと決めた
この本が好き
と言わないで
この本が好きなのか決められない
この国に長く住んでいるけれど、こういう表現を聞くたびに、不思議なことを言うなあ、と思っていました
自分が日本人だからそう思うのか、日本人である、ない、に関係ないことなのか
”好き”も”嫌い”も決めることではなくて、ロジックではなくて、段階を踏まえずとも、感情で判断できるもの
仕事をすることに決めた、とか、帰省することに決めた、などという”行動”を決定することと、自分の感情を左右させることは違うと思う
”好き”も”嫌い”も、ひとから好きになれ、嫌いになれ、と言われてその判断が変わるものでもない
違うんですかねえ
苦手だったひとと永くつきあううちに、好きになることもあるけれど、自分なりに過程を踏んでその域にたどりついて納得しても、ひとから諭されてころりと気が変わることはまずないのではないか
だから、Facebookで、Like XXXX
という表示を見るたびに、XXXを好きになれ、と押しつけられているみたいで、好きなものも嫌いなものもわかっているんだから、ほうっておいて欲しい、と思うのはわたしがひねくれているのかもしれない
と言わないで
彼のことを好きだと決めた
この本が好き
と言わないで
この本が好きなのか決められない
この国に長く住んでいるけれど、こういう表現を聞くたびに、不思議なことを言うなあ、と思っていました
自分が日本人だからそう思うのか、日本人である、ない、に関係ないことなのか
”好き”も”嫌い”も決めることではなくて、ロジックではなくて、段階を踏まえずとも、感情で判断できるもの
仕事をすることに決めた、とか、帰省することに決めた、などという”行動”を決定することと、自分の感情を左右させることは違うと思う
”好き”も”嫌い”も、ひとから好きになれ、嫌いになれ、と言われてその判断が変わるものでもない
違うんですかねえ
苦手だったひとと永くつきあううちに、好きになることもあるけれど、自分なりに過程を踏んでその域にたどりついて納得しても、ひとから諭されてころりと気が変わることはまずないのではないか
だから、Facebookで、Like XXXX
という表示を見るたびに、XXXを好きになれ、と押しつけられているみたいで、好きなものも嫌いなものもわかっているんだから、ほうっておいて欲しい、と思うのはわたしがひねくれているのかもしれない
by ymomen
| 2013-09-20 03:47
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Trackback
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Comments(11)
理解と十分な気付きがもたらされるまで、自分の芯、ここに心の対象が存在するという事実を受け止めれば雑念も束縛も受けずいられませんか??自分のコアな部分と考え方が違うと不思議に思うのは当たり前で、10人居れば10人とも事情、考えが違うしね。
でも違う物はやはり違うのでそんな時は心と会話してみて、そして息を吐き、息を吸うといいですよ。その感覚を鎮めて見守る事が出来るようになると思います、
でも違う物はやはり違うのでそんな時は心と会話してみて、そして息を吐き、息を吸うといいですよ。その感覚を鎮めて見守る事が出来るようになると思います、
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好きも嫌いも元々は一緒。すべて感情です。
好きから嫌いに、嫌いから好きにといったように感情はゆらゆらと動きますからね。元々は人間のうちから出たものだし。
だから好きの反対は嫌いではなく「無関心」なのです。
感情をうまくコントロールするのって難しいよね。私も最近毎日自問自答の日々。
無口な動物を見ているのは、いい本読むのに勝る。
心の声を動物というフィルターを通して自分と真に向き合い、
正直に対話しているような気分になります。
ブログとかってホントの自分と違うこと書いているときありますからね。
私はやらないっていうか、多分ホントの自分をさらけ出さずに
違う自分を綴るのが嫌になりそうなので今のとろろ手書きの日記ですが書くだけでかなり救われている気がします。
好きから嫌いに、嫌いから好きにといったように感情はゆらゆらと動きますからね。元々は人間のうちから出たものだし。
だから好きの反対は嫌いではなく「無関心」なのです。
感情をうまくコントロールするのって難しいよね。私も最近毎日自問自答の日々。
無口な動物を見ているのは、いい本読むのに勝る。
心の声を動物というフィルターを通して自分と真に向き合い、
正直に対話しているような気分になります。
ブログとかってホントの自分と違うこと書いているときありますからね。
私はやらないっていうか、多分ホントの自分をさらけ出さずに
違う自分を綴るのが嫌になりそうなので今のとろろ手書きの日記ですが書くだけでかなり救われている気がします。
フェースブックはしていません。以前していましたが、やはり気持ち悪い感が拭えず止めました。私は「決める」という気持ち実は分かります。私の場合は親が苦手で、実はキライなんだ。キライと決めても認めてもいいんだと思うまで時間がかかったし、苦しんだので。キリスト教社会っていうのもあるのかしら?アメリカの場合。これもまた、イエスキリストを神だと信じることを「決める」わけですから。あとはもう第六感というのを信じて、なんかわかんないけど好きかも・ダメかもっていう気持ちに従ってます。
ここに書くのは初めてです。
これまでも何度か書き込もうかと思いつつも、なんとなく先送りしてました。
でもこの話題なら、今回こそは書くべきかもと。
7月にブログを始めました。
私が好きなものを紹介するという、ただそれだけのページです。
私の興味の話なので、音楽や漫画が多くなりますが、好きならなんでも紹介しちゃえ、と思って始めました。
ところが実際に始めてみて、好きでも紹介しづらいものがあることに気が付きました。
これは好きだと誰かに言うと、その「好き」が周囲に影響を及ぼします。
その影響を考えると、紹介しづらいものが確かにあるんです。
「彼のことを好きだと決めた」「この本が好きなのか決められない」は、もしかしたら、そんな覚悟を持っているかどうかなのかもしれません。
「ただなんとなく好き」と「好きだと公言できる」は、そんな覚悟の有無かもしれません。
考えすぎかもしれませんが。
これまでも何度か書き込もうかと思いつつも、なんとなく先送りしてました。
でもこの話題なら、今回こそは書くべきかもと。
7月にブログを始めました。
私が好きなものを紹介するという、ただそれだけのページです。
私の興味の話なので、音楽や漫画が多くなりますが、好きならなんでも紹介しちゃえ、と思って始めました。
ところが実際に始めてみて、好きでも紹介しづらいものがあることに気が付きました。
これは好きだと誰かに言うと、その「好き」が周囲に影響を及ぼします。
その影響を考えると、紹介しづらいものが確かにあるんです。
「彼のことを好きだと決めた」「この本が好きなのか決められない」は、もしかしたら、そんな覚悟を持っているかどうかなのかもしれません。
「ただなんとなく好き」と「好きだと公言できる」は、そんな覚悟の有無かもしれません。
考えすぎかもしれませんが。
「いるいる、こういうコト言う人!!」と、大きくうなづいてしまいました!"I decided I like him." "I can't decide if I like it or not..." ね? 「はぁ???」と、ハテナマークが飛び散りますよね。こういう表現を聞くと、関西のノリでつっこんでしまいそうです。
もめんさんに同感です。「好き」って気持ちは自然に沸き上がってくるもので、頭で考えて決断したり理解したりするものではないですよね。ま、日本人の中にも「◯◯が好きな気がする。好きみたいな感じがする。好きってことにしておくよ。」と、はっきりしない表現をして柔らかいインパクトを狙う(?)人もいますけどね〜。
面白いです。
もめんさんに同感です。「好き」って気持ちは自然に沸き上がってくるもので、頭で考えて決断したり理解したりするものではないですよね。ま、日本人の中にも「◯◯が好きな気がする。好きみたいな感じがする。好きってことにしておくよ。」と、はっきりしない表現をして柔らかいインパクトを狙う(?)人もいますけどね〜。
面白いです。
こんたさん
ひとそれぞれですね
それぞれ違っているのは当たり前のことでもあり
無関心ということが、嫌うという判断よりも冷酷だということ、知っています
わたしは何か、あるいは誰かを嫌いになると、自分のなかでその存在を抹殺している冷酷な女です 笑
ブログ、書けないこと、確かにあります
読んでくれるひとが少なくとも、公の場にあるものだから、なるべくひとを傷つけず、また正直なものでありたい
嘘は書かない
いまも昔も、いちばん近い友は、本です
ひとそれぞれですね
それぞれ違っているのは当たり前のことでもあり
無関心ということが、嫌うという判断よりも冷酷だということ、知っています
わたしは何か、あるいは誰かを嫌いになると、自分のなかでその存在を抹殺している冷酷な女です 笑
ブログ、書けないこと、確かにあります
読んでくれるひとが少なくとも、公の場にあるものだから、なるべくひとを傷つけず、また正直なものでありたい
嘘は書かない
いまも昔も、いちばん近い友は、本です
Mgさん、
そういう事情がおありでしたか
親子は愛し合うもの、という概念があるから、”決めなくては”ならなかったのでしょう
宗教は確かに選択するものかもしれないですね
でもほかに選択肢のないところに生まれ育てば、決める過程はないかもしれない
Facebookについては似たようなつっかかりを感じられていたのですね
今回出席できなかった同窓会があったのですが、それが機会で、ある友人が卒業生をつなげてくれて、ありがたく、一時はアカウントを消去しようと思っていたけれど、ほうっておいてよかったと思い直しました
それでも、そう親しくもないひとと”ともだち”でいて、そのひとの毎日の詳細を知らされているのは、不思議というか、おかしな気持ちになるものだし、頻繁に挿入される広告(Like XXX と勧誘する)にもうんざりします
そういう事情がおありでしたか
親子は愛し合うもの、という概念があるから、”決めなくては”ならなかったのでしょう
宗教は確かに選択するものかもしれないですね
でもほかに選択肢のないところに生まれ育てば、決める過程はないかもしれない
Facebookについては似たようなつっかかりを感じられていたのですね
今回出席できなかった同窓会があったのですが、それが機会で、ある友人が卒業生をつなげてくれて、ありがたく、一時はアカウントを消去しようと思っていたけれど、ほうっておいてよかったと思い直しました
それでも、そう親しくもないひとと”ともだち”でいて、そのひとの毎日の詳細を知らされているのは、不思議というか、おかしな気持ちになるものだし、頻繁に挿入される広告(Like XXX と勧誘する)にもうんざりします
ちゅんさん
はじめまして
そちらのブログ、伺いました
知らないものが多いですが、わたしの知っているものもあり
”ひっとらあ伯父さん”、わたし、いまも持っているんじゃないかなあ
ビートルズも登場するし、ちゅんさん、おいくつなんだろうかと思い巡らしています、
わたしがブログをはじめた理由も、好きなものを何もかも閉じ込めたブログにしようというのが根本でした
こどもが小さくて家に閉じこもりがちなわたしにとって、外気を吸う窓でもありました
いつか大きくなるこどもに見てもらうラブレターという思いもあった
何もかも書けるというのではない
でもそれでいい
そうでなくてはいけない
内に秘めることがあって当然でしょう
はじめまして
そちらのブログ、伺いました
知らないものが多いですが、わたしの知っているものもあり
”ひっとらあ伯父さん”、わたし、いまも持っているんじゃないかなあ
ビートルズも登場するし、ちゅんさん、おいくつなんだろうかと思い巡らしています、
わたしがブログをはじめた理由も、好きなものを何もかも閉じ込めたブログにしようというのが根本でした
こどもが小さくて家に閉じこもりがちなわたしにとって、外気を吸う窓でもありました
いつか大きくなるこどもに見てもらうラブレターという思いもあった
何もかも書けるというのではない
でもそれでいい
そうでなくてはいけない
内に秘めることがあって当然でしょう
Papricaさん
書かれたように、まずわたしも英語でそう本文を書き出したのですが、日本にお住まいのかたにはその感覚が伝わらないかもしれないと思い直して、日本文にしたんですが、ずばり、そういうことです 笑
うれしいなあ
Papricaさんもそう思われましたか
なにもかもがはっきり好きと嫌いに分けられていないといけないわけじゃないし、あいまいなものもあっていい、なるべくいろんな意味で簡潔でいたいと思います
また、
"You don't want to miss this event!"
なんていうメイルをもらうと、わたしの意志を決めつけないでほしい、と不愉快です
たんなる表現のありかたであり、これを書くひとに悪意はないとわかっていても
書かれたように、まずわたしも英語でそう本文を書き出したのですが、日本にお住まいのかたにはその感覚が伝わらないかもしれないと思い直して、日本文にしたんですが、ずばり、そういうことです 笑
うれしいなあ
Papricaさんもそう思われましたか
なにもかもがはっきり好きと嫌いに分けられていないといけないわけじゃないし、あいまいなものもあっていい、なるべくいろんな意味で簡潔でいたいと思います
また、
"You don't want to miss this event!"
なんていうメイルをもらうと、わたしの意志を決めつけないでほしい、と不愉快です
たんなる表現のありかたであり、これを書くひとに悪意はないとわかっていても
momenさん、
ご無沙汰しております。以前たまにコメントさせていただいた者です。
fbの件では、ず~と私も違和感があります。
そして、今日も考えていました。
だから、偶然、momenさんのブログを拝見して、
この記事に会えた時には、「むむっ?!これは何かのご縁」
と思わずにはいられなくてコメントしています。
ほかの方のコメントもとても興味深く拝見しました。
1回しか会ったことのない人なのに、
もうず~と前から友達なんです!という感じで
ハグをしていた知人がいて、「知り合い?」と
聞くと、「fbでね☆」と。それからほかにもそんな
似た出来事が続き、私の中では・・・・????
そこに入っていないと、つながりの中からは
外れてしまうかもしれない。という少しの恐怖と
それより大きい煩わしさ、と違和感。
ご無沙汰しております。以前たまにコメントさせていただいた者です。
fbの件では、ず~と私も違和感があります。
そして、今日も考えていました。
だから、偶然、momenさんのブログを拝見して、
この記事に会えた時には、「むむっ?!これは何かのご縁」
と思わずにはいられなくてコメントしています。
ほかの方のコメントもとても興味深く拝見しました。
1回しか会ったことのない人なのに、
もうず~と前から友達なんです!という感じで
ハグをしていた知人がいて、「知り合い?」と
聞くと、「fbでね☆」と。それからほかにもそんな
似た出来事が続き、私の中では・・・・????
そこに入っていないと、つながりの中からは
外れてしまうかもしれない。という少しの恐怖と
それより大きい煩わしさ、と違和感。
Kotokotoさん
お久しぶりです
お元気ですか
Kotokotoさんのこと、もちろん、覚えています
FBのなかの”ともだち”よりも、ともだちらしい意思の疎通をさせていただいているかもしれない :)
自分では、ともだちとは、という価値観があっても、ひとからともだちになる申請をFBで受けたら、無視するのも冷淡なようで、受け止めることがほとんどだけど、そのひとの私生活まで覗きたいとは思わない
そういう流れを細かくFBにアップしているのをFBを開けるたびに見ると、困ります
お久しぶりです
お元気ですか
Kotokotoさんのこと、もちろん、覚えています
FBのなかの”ともだち”よりも、ともだちらしい意思の疎通をさせていただいているかもしれない :)
自分では、ともだちとは、という価値観があっても、ひとからともだちになる申請をFBで受けたら、無視するのも冷淡なようで、受け止めることがほとんどだけど、そのひとの私生活まで覗きたいとは思わない
そういう流れを細かくFBにアップしているのをFBを開けるたびに見ると、困ります

