2025年 05月 20日
あきらの卒業式 |
あきら大学卒業。
ずっとあきらは、ほんとに卒業したなんて、妙だ、とつぶやいていた。
卒業式の翌週からさっそく夏の学期が始まっていくつか残した単位をとらなきゃいけないから実感が薄いのか、4年間がいったんはすくった砂のように指のあいだからすり抜けていったようなのか。
不安なことをいうなあ。
わたしもそこにいながらうれしい、というよりは、ぼんやりした思いでいた。
4年間わたしは何度でもあきらを訪ねることができたのに、しなかった。
休みごとに帰省していたから、あきらのここでの大学生活をそっとしてやりたい思いがあった。
だけど、もうちょっと介入しても迷惑がられなかったのではないか。
わたしにはこどもに対しても、よそよそしいところがある。
こどもでもひとりの人間なのだからプライバシーがある、と思っているけれど、それが他人行儀になってしまうようでもある。
緑豊かなキャンパス。
ひらひらたよりないポリエステルのガウンをシャツとネクタイの上から羽織ってともだちと先に歩く姿を後ろから見ていると、大学卒業というよりは高校生のような青さもある。
ハリーポッターの少年たちのようなのだ。
あきらが帰省しても外食したがらないし、それ以前もうちは外食を滅多にしない。
レストランで4人向かい合って食事をしていると、携帯電話の存在が全くなくて、ただわたしたちの会話だけがあったことに気がついた。
この数年、あきらは食卓にもうひとり必ず携帯電話という相客を連れていた。
そんな”正常”に戸惑う夫の話は祝いというよりは説教めいてきて、みあとわたしはハラハラする。
ともだち3人と住んでいるアパートメントはまだみなそこにいるのにがらんとしていた。
酔っぱらった帰りに持ち帰った道路整備のオレンジ色で巨大なサイン"ROAD WORK AHEAD"(ふたつも盗んだのか!)、ダーツ、酒のあき瓶を並べたキャビネット、クリスマスツリーの画の飾りやクッションが初夏のいまもまだある。
壁に沿わせた豆電球も季節を問わず、スタンドがわりにしている。
レストランの予約時刻までに4人でカード遊びをしていたら、黒塗りのコーヒーテーブルに小さな小さな裸足の跡が光の加減で浮き上がった。
前日マイクの甥っ子がつけた足跡だと、あきらがおもしろがっている。
シカゴ出身のマイクの両親やすでに家庭を持っている兄さんらが式のために訪れていて、住処の偵察に寄ったのだ。
そんな小さな裸足のあきらを抱いていたのはほんの20年前のこと。
柔らかく優しくほんのり湿度のある小さな足の感触までなまなましく覚えているというのに。
あきらの部屋もクロゼットもバスルームも整っていて、もうちょっと乱れていたほうが母のわたしは安心できそうな気もした。
あきらが4年を過ごした町は、大学があってこそ機能している。
5,000の卒業生を祝うこの週末は、その家族を招き入れて、どこのホテルも安モテルもレストランも満員。
行く先ごとに駐車場を探すのに苦労した。
ダウンタウンのバーもどこもかしこも華やいでいた。
食事のあとバーで飲もうとあきらが誘う。
会話が賑やかな音楽と嬌声で遮られながら、今夜こそあきらと呑みたいけれど、呑めなくなったわたしはグラス1杯がせいぜいで、あきらでさえも目の前のビールは苦いと顔をしかめてすすっては、半分も飲めやしない。
ともだちとつるんで酔うために飲むのは、口当たりの甘いいわゆる女の子向けのカクテルドリンクで、まだおとなの嗜好ではないのだ。
陽が沈むころ、助手席でまともに視界を遮る陽を受けながら、東京で独り暮らししていて、そんな時がつらかったのを思い出した。
賑やかな町にいるからこそ、孤独がひりひりした。
独り暮らしのきままさは愉しかったけれど、黄昏時はたまらなかった。
あきらも夕刻にはそんな悲しさを感じているのだろうか。
4年間、寂しいときもあったろう。
夏に単位が揃ったら、職を見つけてこの近辺に留まりたいらしい。
家に帰ってきたくない気持ちはわかる。
この町に4年馴染んで、わたしたちの住む町に戻りたくないのはもっともだろう。
わたしもまた、あきらはわたしたちから離れて暮らすほうが成長できるだろうと思う。
小さなワッフルハウスで朝食を摂った際、そこを采配している青年と話をした。
レストランには悪いが、場違いなような好青年で、昨年同大学を卒業し、本職は隣町にあるかなりの実績のある企業で、週末はここで働いているそうだ。
学費のローンがたっぷり残っているから日々の生活費を賄うのでは足りないと言っていた。
卒業前の1年間に50社に打診して、やっとひとつに就職が決まった。
それほどの試みはあきらはまだしていないと思う。
彼の本職先でも雇う余地があるかもしれないと、そこの名前を書いてくれた。
彼が苦労して手に入れた職の可能性をそうしてわたしたちに分かち合ってくれたことが申し訳ないようであった。
あきらも自分で我が道を見つけるべきなのだ。
もう一泊できないの、と何度か訊くあきらを残して帰途についた。
今週いとこのジャクリーンを空港でひろってから帰ってくるからまたすぐに会えるのに、名残惜しい思いが振りきれなかった。
帰省したあきらを送り出すときも侘しいが、これもまたやりきれないものだ。
今回はあきらのほうが、帰り着いたら電話して、と念を押した。
来てくれてありがとう、
わたしに対してそんなテキストをしてきたあきらの水臭さが腹立たしかった。
卒業式に親が行って当たり前じゃないの、と泣きたくなった。
夫が学費も生活費も出したんだからあたりまえじゃないの。
卒業式典ふたつに参列して、ひとの作ってくれたものを食べてきただけなのに、ひどく疲労した。
ぐったりして昨日一日はなにも手につかなかった。
ジムには行った。
帰りにスーパーに寄ってオヴンに入れればいいラザニアを買って食事とした。
わたしひとりなら果物にライ麦パンのトーストだけでもいいのだ。
Nuggetsの試合だけは観た。
肝心の試合に負けたのは、わたしが疲れていたせいなのかもしれないと思うと申し訳ない。
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by ymomen
| 2025-05-20 01:34
| こども
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