2007年 01月 05日
ニジンスキー 1890-1950 |
前世紀はじめに活躍した、男性バレエダンサー、ニジンスキーの日記、"The diary of Vaslav Nijinsky"、を読みました。
精神分裂病(schizophrenia)の症状があらわになりはじめた、1919年の1月から3月のかけての6週間に自らの手で綴られた手記で、その時すでにニジンスキーのバレエ生命は絶たれていました。
ニジンスキーの夫人だったラモラが、1936年にこの日記を出版しましたが、彼女を批判している箇所や、私的都合で半分近くが省略、あるいは書き換えられていたので、ニジンスキーのオリジナルのものとはいえなかったといいます。
わたしが読んだこの本は、1999年に再度、オリジナルのロシア語から英語に訳された、省略、いじりのない、完全版と謳われています。
(上)1908年。ニジンスキー18歳。
1890年、ロシアに生まれたニジンスキーは、バレエ界の類まれなスターとして、歴史に名を残しました。観客を魅了する舞台で発するオーラ、超人的とも言える跳躍、当時センセーショナルと騒がれたバレエの振り付けなどが語り伝えられています。
舞台の上では、神のような存在でも、舞台を降りた彼には、協調性がなく、表情力に乏しく、ひととのコミュニケーションのできない、ある意味でのハンディキャッパーだったようです。芸術に秀でているひとの多くに、変わり者、という意味でエキセントリック、という形容詞が使われますが、彼もそうだったのでしょう。
(上)1911年。ロンドン公演。
この日記は、文学として高い評価を受けているのではなく、精神分裂病患者が記した日記という医学上の研究材料として、貴重なものと扱われているそうです。お世辞にも感動を呼ぶとか、美しいという読み物ではありません。読むのが苦痛になるような本です。
わたしにとっては、この病と生きているひとを知っていること、この病のもたらす精神のふしぎに興味があった理由で、ある意味で魅了されると同時に、不愉快な気持ちにもなりながら読了しました。また、自分自身の精神状態の起伏となにかかかわりがあるかもしれないと、おそれながらも考えていたのもほんとうです。
わたしがこの日記を読んだのは、1年前のことです。そのころ、再びいささか精神状態が低迷していたものですから、ちょっと波長が合っていたのはよかったのか、悪かったのか。
ある時期には、寝室から見える灯が魔女の顔、わたしに話しかけている魔女の顔に見えたくらいですから、この本を読み進めるうちに、自分もニジンスキーと澱に溺れているような錯覚に陥ることもありました。
上)左のぺージ。ニューヨーク、1916年。
右上は1913年。ブエノスアイレスでの結婚披露宴。
右下は1916年。ラモラ夫人と娘のカイラと。
この狂気は自分の定期的に経験する低迷期とそんなに違わないのではないか、とも思います。そんな危うい状態には、ふつうに社会生活している人も、案外すれすれの線で行ったり来たりしているのではないでしょうか。
たとえば食事のたびに、常に己が舞踊家と認識しているニジンスキーは食べるものや量に神経質で、妻の食べている肉を不浄なものとしてうるさく彼女に説教します。彼は食肉は体を腐敗させるものと信じています。またあるときは、自分の過去を思い巡らして綴りながら、あまり長く書くという作業を続けてものだから、腕が痛みはじめ、その腕の痛みをしつこく書き始めて、どんどん本来書こうとしていた主題から話がそれていくというパターンも多く見られました。あちこちで矛盾した、人への批判や、信条も目につきます。
(上)1912、あるいは1913年。ロンドンあるいは、パリ公演。
それでも、本を読み終え図書館に返却すると、しばらくニジンスキーの捕虜になっていたかのようなわたしは解き放たれて、”さあ、自分のところへお帰り”とやさしくニジンスキーに背中を押してもらったような気もするのです。
(上)1910年。パリ公演。
本の折込に紹介されているニジンスキーの写真の数々に魅かれます。
プライベートの写真に比べて、舞踊家としての彼の写真はなんと生き生きしていることでしょうか。彼は舞台に立つと、”顔が豹変した”とか、”何かに乗り移られたように”みえたといわれたひとです。写真のどれをとっても、どれもが違うひとに見えます。同じ人間を写した姿に見えません。
(上)1912年。パリ公演。
本人は狂気のなかにあって、どれほどの悲しみと苦痛を味わっていたのでしょうか。
一生名を知られることなく、静かに人生をまっとうするのと、センセーショナルに稲妻のように世界をとどろかせた後、余生を闇のなかで暮らすのと、どちらが人間として幸せでしょう。
(上)下は亡くなる3年前のニジンスキー。
上は1939年に入院していたスイス病院に記者団が訪問した際、かの有名な跳躍を見せて欲しいと要望があり、それに応えたものだそうです。
(上)1911年、パリ公演。
1950年に亡くなるまで、正気に戻ることはなかったそうです。
*写真はどれもこの本からの抜粋です。
精神分裂病(schizophrenia)の症状があらわになりはじめた、1919年の1月から3月のかけての6週間に自らの手で綴られた手記で、その時すでにニジンスキーのバレエ生命は絶たれていました。
ニジンスキーの夫人だったラモラが、1936年にこの日記を出版しましたが、彼女を批判している箇所や、私的都合で半分近くが省略、あるいは書き換えられていたので、ニジンスキーのオリジナルのものとはいえなかったといいます。
わたしが読んだこの本は、1999年に再度、オリジナルのロシア語から英語に訳された、省略、いじりのない、完全版と謳われています。
(上)1908年。ニジンスキー18歳。
1890年、ロシアに生まれたニジンスキーは、バレエ界の類まれなスターとして、歴史に名を残しました。観客を魅了する舞台で発するオーラ、超人的とも言える跳躍、当時センセーショナルと騒がれたバレエの振り付けなどが語り伝えられています。
舞台の上では、神のような存在でも、舞台を降りた彼には、協調性がなく、表情力に乏しく、ひととのコミュニケーションのできない、ある意味でのハンディキャッパーだったようです。芸術に秀でているひとの多くに、変わり者、という意味でエキセントリック、という形容詞が使われますが、彼もそうだったのでしょう。
(上)1911年。ロンドン公演。
この日記は、文学として高い評価を受けているのではなく、精神分裂病患者が記した日記という医学上の研究材料として、貴重なものと扱われているそうです。お世辞にも感動を呼ぶとか、美しいという読み物ではありません。読むのが苦痛になるような本です。
わたしにとっては、この病と生きているひとを知っていること、この病のもたらす精神のふしぎに興味があった理由で、ある意味で魅了されると同時に、不愉快な気持ちにもなりながら読了しました。また、自分自身の精神状態の起伏となにかかかわりがあるかもしれないと、おそれながらも考えていたのもほんとうです。
わたしがこの日記を読んだのは、1年前のことです。そのころ、再びいささか精神状態が低迷していたものですから、ちょっと波長が合っていたのはよかったのか、悪かったのか。
ある時期には、寝室から見える灯が魔女の顔、わたしに話しかけている魔女の顔に見えたくらいですから、この本を読み進めるうちに、自分もニジンスキーと澱に溺れているような錯覚に陥ることもありました。
上)左のぺージ。ニューヨーク、1916年。
右上は1913年。ブエノスアイレスでの結婚披露宴。
右下は1916年。ラモラ夫人と娘のカイラと。
この狂気は自分の定期的に経験する低迷期とそんなに違わないのではないか、とも思います。そんな危うい状態には、ふつうに社会生活している人も、案外すれすれの線で行ったり来たりしているのではないでしょうか。
たとえば食事のたびに、常に己が舞踊家と認識しているニジンスキーは食べるものや量に神経質で、妻の食べている肉を不浄なものとしてうるさく彼女に説教します。彼は食肉は体を腐敗させるものと信じています。またあるときは、自分の過去を思い巡らして綴りながら、あまり長く書くという作業を続けてものだから、腕が痛みはじめ、その腕の痛みをしつこく書き始めて、どんどん本来書こうとしていた主題から話がそれていくというパターンも多く見られました。あちこちで矛盾した、人への批判や、信条も目につきます。
(上)1912、あるいは1913年。ロンドンあるいは、パリ公演。
それでも、本を読み終え図書館に返却すると、しばらくニジンスキーの捕虜になっていたかのようなわたしは解き放たれて、”さあ、自分のところへお帰り”とやさしくニジンスキーに背中を押してもらったような気もするのです。
(上)1910年。パリ公演。
本の折込に紹介されているニジンスキーの写真の数々に魅かれます。
プライベートの写真に比べて、舞踊家としての彼の写真はなんと生き生きしていることでしょうか。彼は舞台に立つと、”顔が豹変した”とか、”何かに乗り移られたように”みえたといわれたひとです。写真のどれをとっても、どれもが違うひとに見えます。同じ人間を写した姿に見えません。
(上)1912年。パリ公演。
本人は狂気のなかにあって、どれほどの悲しみと苦痛を味わっていたのでしょうか。
一生名を知られることなく、静かに人生をまっとうするのと、センセーショナルに稲妻のように世界をとどろかせた後、余生を闇のなかで暮らすのと、どちらが人間として幸せでしょう。
(上)下は亡くなる3年前のニジンスキー。
上は1939年に入院していたスイス病院に記者団が訪問した際、かの有名な跳躍を見せて欲しいと要望があり、それに応えたものだそうです。
(上)1911年、パリ公演。
1950年に亡くなるまで、正気に戻ることはなかったそうです。
*写真はどれもこの本からの抜粋です。
by ymomen
| 2007-01-05 01:47
| 特別な本
|
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Comments(12)
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at 2007-01-05 02:38
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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こんた
at 2007-01-05 07:26
x
ニジンスキー写真の中で立ってるだけでも絵になる人ですね。華があるのはもちろん、その奥に垣間見える憂いや苦悩。1芸に秀でている人って何だかそこら辺がもの凄ーく強いように思います。人間誰しも表と裏、
陰と陽があって形成されている生き物だと思います。1芸に秀でて生まれし人、鋭い感覚を持ちこの世に生を持ち生きてきた人はバランスが取りにくくなってしまうのでしょうか。素敵な個性なのにね。相手をリスペクトし
受け入れる大きな心は僕ももちたいなぁーと思います。
陰と陽があって形成されている生き物だと思います。1芸に秀でて生まれし人、鋭い感覚を持ちこの世に生を持ち生きてきた人はバランスが取りにくくなってしまうのでしょうか。素敵な個性なのにね。相手をリスペクトし
受け入れる大きな心は僕ももちたいなぁーと思います。
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luna305 at 2007-01-05 10:41
はじめまして。
私のブログにお越しいただきまして、ありがとうございます。
バレエを語る上では彼やアンナ・パブロヴァは外せない人物ですよね。
天才であったにもかかわらず、悲劇的な人生を送ったと私は思っています。
伝記をきちんと読んではいないのですが....
どのくらい跳躍がすごかったのかわかりませんが、
彼の人生、そして写真や映像がない分、想像が膨らみますね。
私のブログにお越しいただきまして、ありがとうございます。
バレエを語る上では彼やアンナ・パブロヴァは外せない人物ですよね。
天才であったにもかかわらず、悲劇的な人生を送ったと私は思っています。
伝記をきちんと読んではいないのですが....
どのくらい跳躍がすごかったのかわかりませんが、
彼の人生、そして写真や映像がない分、想像が膨らみますね。
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ymomen at 2007-01-05 10:59
鍵さま、
そちらは、また雪ですか。
こちらはいくらか温度が上がり、雪が積ったときに泥が玄関ポーチに上がって乾いたのを、きょうは洗い流しました。
鬱にも軽い症状から、重いものまでいろいろあって、ちゃんと対処しなければいけないといいますね。かと言って、ただ抗鬱剤を投与すればいい、というものでもないようです。
映画”Beutiful Mind”の数学者の病名は、おっしゃるとうり、schizophreniaでしたね。ですが、この病名はかなり大まかに使われているらしく、manic depressionを伴うschizophrenia、などというふうに、精神分裂病をさらに形容詞をつけて使うことが多いと聞いています。
この映画、わたし、好きです。
こういう病気にとりつかれたひとだから、彼ほどの功績を残せたのかもしれないとも思いませんか?いい、悪いは別にして。
こどものためにも、なんとか心身ともに健康でいたいですね。
そちらは、また雪ですか。
こちらはいくらか温度が上がり、雪が積ったときに泥が玄関ポーチに上がって乾いたのを、きょうは洗い流しました。
鬱にも軽い症状から、重いものまでいろいろあって、ちゃんと対処しなければいけないといいますね。かと言って、ただ抗鬱剤を投与すればいい、というものでもないようです。
映画”Beutiful Mind”の数学者の病名は、おっしゃるとうり、schizophreniaでしたね。ですが、この病名はかなり大まかに使われているらしく、manic depressionを伴うschizophrenia、などというふうに、精神分裂病をさらに形容詞をつけて使うことが多いと聞いています。
この映画、わたし、好きです。
こういう病気にとりつかれたひとだから、彼ほどの功績を残せたのかもしれないとも思いませんか?いい、悪いは別にして。
こどものためにも、なんとか心身ともに健康でいたいですね。
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ymomen at 2007-01-05 11:06
こんたさん、
そうなのかもしれないですね。
だから、エキセントリック、といわれるひとに、魅かれるのかもしれません。
小さなこどもがいると、何かと考えが保守的になりがちで、ちょっと変わったものは、枠の外に置きたくなることがあります。あまりにも、リベラルなのもどうかと思うけど、ある程度の個性や主張が自分の基準と違っていても、許容できる自分でありたいです。
そうなのかもしれないですね。
だから、エキセントリック、といわれるひとに、魅かれるのかもしれません。
小さなこどもがいると、何かと考えが保守的になりがちで、ちょっと変わったものは、枠の外に置きたくなることがあります。あまりにも、リベラルなのもどうかと思うけど、ある程度の個性や主張が自分の基準と違っていても、許容できる自分でありたいです。
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ymomen at 2007-01-05 11:20
lunaさん、
早速、わたしのところにもいらしてくださってありがとうございます。
バレエをなさっているlunaさんの視点は、そうでないわたしと、またいくらか違うのでしょうね。
わたしは全くバレエの経験がないのですけど、バレエの世界に興味があります。この街にはおとなの初心者コースというのもないし・・・
でも、ニューヨーク・バレエ・シアターが出している、おとなのためのバレエの基礎のレッスンがDVDであるのが、いい、と聞いています。でも、やっぱり、引けます・・・。
早速、わたしのところにもいらしてくださってありがとうございます。
バレエをなさっているlunaさんの視点は、そうでないわたしと、またいくらか違うのでしょうね。
わたしは全くバレエの経験がないのですけど、バレエの世界に興味があります。この街にはおとなの初心者コースというのもないし・・・
でも、ニューヨーク・バレエ・シアターが出している、おとなのためのバレエの基礎のレッスンがDVDであるのが、いい、と聞いています。でも、やっぱり、引けます・・・。
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at 2007-01-05 18:43
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ニジンスキーという伝説的なバレエダンサーの名前は知っていましたが、こんな人だとは知りませんでした。
もめんさんの所に来るといつも色んな新しい知識を得ることができるので、とても勉強になります。
私も小さい頃バレエにとても憧れていたのですが、近所のお姉ちゃんに「バレエダンサーになると足がふっとくなるんだよ」と言われて(それもこわ~い顔で・・・)恐れおののいて夢はどこかへとんで行きました(^^;)
今はバレエダンサーにならなかったのに、足が大根のようにぶっとくなってしまいましたが(汗)
やはり一芸に秀でている人というのはどこか常人離れしているものなのでしょうか。興味深いお話でした(^^)
もめんさんの所に来るといつも色んな新しい知識を得ることができるので、とても勉強になります。
私も小さい頃バレエにとても憧れていたのですが、近所のお姉ちゃんに「バレエダンサーになると足がふっとくなるんだよ」と言われて(それもこわ~い顔で・・・)恐れおののいて夢はどこかへとんで行きました(^^;)
今はバレエダンサーにならなかったのに、足が大根のようにぶっとくなってしまいましたが(汗)
やはり一芸に秀でている人というのはどこか常人離れしているものなのでしょうか。興味深いお話でした(^^)
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ymomen at 2007-01-06 01:21
Saoriさん、
そういえば、バレエダンサーはふくらはぎがしっかりしているような・・・?
足に立派は筋肉がついていますね。
わたしもバレエ、習いたかったこどもでしたけど、習ったのはピアノと算盤で、どちらでも中途半端な生徒でした。
欧米人の、といってもいろいろですけど、特に黒人の長くてしっかり筋肉がついていながらすらりとした足って、きれいですよね。膝から下が長くって。
そういえば、バレエダンサーはふくらはぎがしっかりしているような・・・?
足に立派は筋肉がついていますね。
わたしもバレエ、習いたかったこどもでしたけど、習ったのはピアノと算盤で、どちらでも中途半端な生徒でした。
欧米人の、といってもいろいろですけど、特に黒人の長くてしっかり筋肉がついていながらすらりとした足って、きれいですよね。膝から下が長くって。
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ymomen at 2007-01-06 04:44
鍵さま、
平凡、というか、こつこつ平穏に暮らすことも、難しいっていうこと、同感です。
ある程度名前が知られた方が亡くなるとき、メディアは生前にスキャンダルの多かった人をより崇めて報道するのを見るたびに、おかしいな、と思うのです。スキャンダルなしにこつこつと事を成したひとが、そういう人に比べて、あまり讃えられないのは納得できません。
ふだんの暮らしのなかで、あたりまえに暮らしているようにみえる身近なひとが、ときどきびっくりするような立派な主観を持っていたりするのに出くわすと、感動します。市井にそんなひと、たくさんいらっしゃいますよね
平凡、というか、こつこつ平穏に暮らすことも、難しいっていうこと、同感です。
ある程度名前が知られた方が亡くなるとき、メディアは生前にスキャンダルの多かった人をより崇めて報道するのを見るたびに、おかしいな、と思うのです。スキャンダルなしにこつこつと事を成したひとが、そういう人に比べて、あまり讃えられないのは納得できません。
ふだんの暮らしのなかで、あたりまえに暮らしているようにみえる身近なひとが、ときどきびっくりするような立派な主観を持っていたりするのに出くわすと、感動します。市井にそんなひと、たくさんいらっしゃいますよね
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hawaii_oslo
at 2007-01-07 01:09
x
読むのに勇気が要りそうな本ですね。伝記を読むのは大好きなのですが、個人の日記となると客観性が少ないので、あまりにも生々しく文章に狂気が現れていたりするのかなー。ちょっと怖いです。でもその中に少しでも大切な真実が読めれば良いのかもしれません。
ニジンスキーみたいな天才も、結局はどこにでもいるような弱さも強さもある人間ってことなんでしょうか。
まずは彼が実際に踊っている所を見たくなりました。(観た事無いんです)映像なんかででも残ってると良いのですが。
ニジンスキーみたいな天才も、結局はどこにでもいるような弱さも強さもある人間ってことなんでしょうか。
まずは彼が実際に踊っている所を見たくなりました。(観た事無いんです)映像なんかででも残ってると良いのですが。
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ymomen at 2007-01-07 02:05
hawaii-osloさん、
おっしゃるとうり、生々しいのです。
性的な記述も多くて、ちょっとまいりました。
でも、それだけ無防備な正直な人間の姿が書かれているということかもしれません。
わたしもバイオグラフィー、とよばれるジャンルの本、大好きです。
わたしにはのぞき趣味があるのかもしれません。
ニジンスキーの写真はあっても、動く映像はないのではないかしら。
彼のことをモチーフにした映画もあってもよさそうですけど、ないですよね。
教えていただいた、砂糖パンのことが頭から離れなくて困っています。
近いうちに、想像にもとづいて作ることになりそうです。
おっしゃるとうり、生々しいのです。
性的な記述も多くて、ちょっとまいりました。
でも、それだけ無防備な正直な人間の姿が書かれているということかもしれません。
わたしもバイオグラフィー、とよばれるジャンルの本、大好きです。
わたしにはのぞき趣味があるのかもしれません。
ニジンスキーの写真はあっても、動く映像はないのではないかしら。
彼のことをモチーフにした映画もあってもよさそうですけど、ないですよね。
教えていただいた、砂糖パンのことが頭から離れなくて困っています。
近いうちに、想像にもとづいて作ることになりそうです。