2017年 06月 26日
急に涼しい日 |
連日猛暑が続いて、急にきょうは涼しい。
靴下と長袖のシャツを着るほどに涼しい。
雑草はどんどん庭を覆ってしまうから、毎日バケツ一杯分の雑草を抜くのを心掛けているけれど、暑いとすぐにいやになってしまう.
こんな涼しい日は滅多にないから、ふだんよりも時間をかけて抜いた。
華氏100度(摂氏38度くらい)前後の日々で、きょうは70度(摂氏21度くらい)。
ふだんは熱気が入ってこないように窓を閉めっきりだったのを、きょうは開け放っていると寒いくらい。
きのうから夫とこどもたちはラスベガスに発ち、きょうはパウエル湖に移動する。
ラスベガスは、115度(摂氏46度にあたる)で、目が痛くなるほどの暑さと言っていた。
アリゾナ州にある巨大な湖で、いとこたちと1週間ハウスボートで遊ぶのだ。
泳いだり、釣りをしたり、ウオータースキーをしたり、陸に上がってハイキングもするらしい。
こどもたちは、デッキで眠るというけれど、寝相が悪くて湖に落ちてしまうということはないのかな。
定員16人のボートというから、ほんとに家ほどに大きいのだろう。
わたしは犬と留守番。
ミルキーは病気持ちで、ここのところ調子が悪いから、ケンネルに預けるのはかわいそうで、わたしが一緒にいる。
犬の体調がいけないときに旅行に出ても楽しめないから、留守番でいいのだ。
久しぶりに朝雨も降って、日本の梅雨によくこういう日があるなあ、と玄米茶を淹れて、柿の種をかじりながら、”富士日記”(武田百合子著)を読んでいると、まるで日本にいるみたいだ。
武田百合子氏は、作家武田泰淳氏の奥さんで、著書は、夫婦が富士に建てた別荘と東京の家とを行き来する記録で、その日記はわたしが生まれた昭和39年に始まっているから、それは当然50年以上もまえのことで、買い物や食事、家の手入れ、庭のなりもの、村のひととのやりとりの記録などがわかって面白い。その感覚はそれほど昔に書かれたとは思えない。わたしからは過去30年の日本での生活が抜けているから、そう思うのだろうか。
”富士日記”は3巻あって、以前ここに住んでいた友人が、同作家のほかの本とまとめて送ってくれた。
それまでこの作家のことは知らなくて、彼女が教えてくれた。
とっておきの親友を紹介してくれたみたいだった。
食べたものの記録のなかに、手製クッキーの記載があるけれど、昭和40年当時に自分でクッキーを焼いていたのだろうか。
どんなクッキーだったのだろう。
東京から富士へ運転していて、見通しが悪いところに車線を無視して乱暴に走る対向車や、湖に夫とボートを浮かべていると水上スキーするスピードのあるボートが寄ってきて水しぶきを浴びせられるとき、著者は本気で怒って相手を大声で罵っては、夫にたしなめられる。
チンピラらしい男数人に脅されても、脅されないで引き下がらない。
車のトランクに入れたチェーンを振り回してやろう、とまで企みながらすごんでいる。
家を手直しする地元のひとは、用事がなくても食事時でも、野菜や魚を分けにやってきて、ビールや総菜でもてなしている。
武田泰淳という作家は優れたひとらしいが、奥さんは並外れている。
こんなひとが、大統領夫人になったら愉快だろう。
同著者のロシア旅行記もおもしろい。
日本はカリフォルニア州ひとつの大きさしかないのに、そんな小さな国に、50年も昔に、こんなひとがいたんだ。
by ymomen
| 2017-06-26 07:23
| アメリカの季節 夏
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Comments(2)
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by
Mira
at 2017-06-29 12:55
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もめんさんの書く文章は、どうしていつもこう素敵なんでしょう。自分もこんな風に文章が書けたらといつも思います。
ブログに記事を投稿するときは、ドラフトのようなものがあって段々それに手直しをして書いていかれるんですか?
それとも、いきなりどんどんブログに書かれていらっしゃる?
いつも思うのですが、とてもエレガントなんですよ、もめんさんの文章。
さて、武田百合子さん、頼もしい女性ですね。
それから彼女の本を読んでいるもめんさんが、「食べたものの記録のなかに、手製クッキーの記載があるけれど、昭和40年当時に自分でクッキーを焼いていたのだろうか。
どんなクッキーだったのだろう。」とクッキーに思いを巡らせているところが、またもやもめんさんらしいと思いました。お菓子つくりの投稿で、ご友人やお知り合いの方々が作ったレシピが気になると書かれていた以前の記事や、ご自分でもお菓子つくりが好きなもめんさんを思い出しました。
ブログに記事を投稿するときは、ドラフトのようなものがあって段々それに手直しをして書いていかれるんですか?
それとも、いきなりどんどんブログに書かれていらっしゃる?
いつも思うのですが、とてもエレガントなんですよ、もめんさんの文章。
さて、武田百合子さん、頼もしい女性ですね。
それから彼女の本を読んでいるもめんさんが、「食べたものの記録のなかに、手製クッキーの記載があるけれど、昭和40年当時に自分でクッキーを焼いていたのだろうか。
どんなクッキーだったのだろう。」とクッキーに思いを巡らせているところが、またもやもめんさんらしいと思いました。お菓子つくりの投稿で、ご友人やお知り合いの方々が作ったレシピが気になると書かれていた以前の記事や、ご自分でもお菓子つくりが好きなもめんさんを思い出しました。
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ymomen at 2017-06-30 08:23
> Miraさん
ありがとうございます。ドラフトにあたるものはなく、ただ書いていますが、WiFiの不調か、パソコンのせいか、書きかけで、書いた分、消去されてしまうことがよくあって、書き上げるのに苦労するときがあります。
20歳のころ、ある方の厚意で、ある雑誌で短い記事を書く仕事をいただいて、それがあまりにも下手で、編集者を煩わせた経験があり、それでも原稿料をいただいて、そのことをずっと恥ずかしく思っていて、そのときよりは進歩した文章が書けるようにと練習しているのが、このブログです。
ブログを始めてからも、わたしの日本語がおかしいと言われたことがあり、自分でも自分の書く日本語は正しいかどうか、自信がありません。
昭和40年なんて、クッキーというと、市販のものだといまのようにそう種類はなかっただろうし、家庭で焼くなんて、珍しかったでしょう。
でも武田さんは、スポンジケーキを焼いて、生クリームをかぶせたケーキまで作っておられた。わたしが10歳のころ、生クリームは牛乳屋さんに特別注文しないと買えないものでした。いま、ここにいて、なんでも洋菓子を作る材料は買えるけど、一番食べたいのは、しょうゆ味の固焼きせんべいか、粒あんのおいしいお菓子です。
ありがとうございます。ドラフトにあたるものはなく、ただ書いていますが、WiFiの不調か、パソコンのせいか、書きかけで、書いた分、消去されてしまうことがよくあって、書き上げるのに苦労するときがあります。
20歳のころ、ある方の厚意で、ある雑誌で短い記事を書く仕事をいただいて、それがあまりにも下手で、編集者を煩わせた経験があり、それでも原稿料をいただいて、そのことをずっと恥ずかしく思っていて、そのときよりは進歩した文章が書けるようにと練習しているのが、このブログです。
ブログを始めてからも、わたしの日本語がおかしいと言われたことがあり、自分でも自分の書く日本語は正しいかどうか、自信がありません。
昭和40年なんて、クッキーというと、市販のものだといまのようにそう種類はなかっただろうし、家庭で焼くなんて、珍しかったでしょう。
でも武田さんは、スポンジケーキを焼いて、生クリームをかぶせたケーキまで作っておられた。わたしが10歳のころ、生クリームは牛乳屋さんに特別注文しないと買えないものでした。いま、ここにいて、なんでも洋菓子を作る材料は買えるけど、一番食べたいのは、しょうゆ味の固焼きせんべいか、粒あんのおいしいお菓子です。