2016年 11月 19日
本と本屋 |
ロンドンにお住まいのさおりさんが、本と本屋についての記事を書いておられて、深く共感したので、自分の本についての思いを書きたくなった。
実家は学校教材を扱う書店で、普通の書店だったらよかったのに、とこども時代はうらめしかったけれど、例えばグレゴリア聖歌や竹下夢二に興味があるというと、母は卸先からアルバム5枚セット、あるいは、10巻セットという形で注文してくれた。数年前の帰国時に、東京で通りがかった古本屋の店頭に、その夢二全集があり、かなりの高値で売りに出されていたのを見た。
そんな家で育ったせいか、時代のせいか、本に対する思いはある。
読みかけのページを広げたまま、表紙を上に置かれているのを見ると、本に失礼じゃないか、痛むじゃないか、と不快だ。
さおりさんと同じく、電子書籍よりも紙製の本がいい。
読みものをするのに、眼鏡が必要になり、電子書籍ならば、文字を拡大できるし疲れないと聞いて試したことがあるけれど、慣れなかった。
旅行時など、電子書籍ならば、かさばらないからいいのはわかっていても、やっぱり本がいい。
視力の衰えがあまりにも苦痛だから、ひとが読んだレコーディングを聴くのも試したけど、やっぱり本がいい。
古本や図書館から借りる本は、前に読んだ人の衛生観念が自分とは違うだろうという多少の不快感もあるけれど、洗えない本であっても、本というものは、穢れないものだという理不尽な”信仰めいた”思いもある。
5つ違いの兄が高校卒業後、京都で浪人、学生時代を過ごし、定期的に段ボールに読み終わった本が、まだ実家にいるわたしに届いた。どれもすべて読んだか。そのうちの数冊は、わたしがそのうち上京し、渡米してもわたしとともにあり、いまも、ある。
未読の本が手元に数冊さると、安心していられる。
気に入りのチョコレートを買い置きしているのと似ていて、自分が食べる前にジムやこどもたちに食べられてしまうのけれど、本はわたしに読まれるのをひたすら待っている。
同じくロンドンにお住まいのMeloさんの読書記録と新聞の日曜版と雑誌の書評には必ず目を通して、読みたい本は書き留める。
英語の本は図書館で借りる。
一度読んだら再度読むのはまずないし、モノが増えるのを避けたいから。
日本語の本は、帰国時に買う。
帰国して、買いたいものも限られていて、近年は、本を持ち帰るのがいちばん嬉しい。
故郷のともだちが、これ、おもしろかったから、と手渡してくれた文庫本はありがたかった。
住んでいる町に本屋はあるけれど、ただ楽しみにうろつくことはない。
デンバーに住んでいた数年は、まだこどもがいなかったせいか、気にいった本屋が数件あったせいか、散歩がてらによく出かけていて、忘れたころに、何かの理由で手に取った手持ちの本に、その店のしおりが挟まっているのに気がついて、なつかしい。
手元にしおりがないときには、近くにあるポストカードや、書きかけのメモ、歯医者の予約カードなどを挟むこともあるから、何年もあとになってそれらに遭遇すると、そっちのほうに見入ってしまう。
こどものころ、ともだちに貸した漫画雑誌をめくっていたら、開いて押しぶされたみかんの皮がぺったんこに挟まっていて、電話帳の押し花みたいだとおかしかった。
日本に住んでいたころは、なにかというと、本屋に入っていた。
ふつうの本屋、古本屋。
実家のある街で入る本屋は、うちとは違うふつうの本屋で、商売の種類は違うとこどものわたしは思っていたけど、親にしてみれば”商売敵”で、わたしや兄がそういうところに行くのを嫌がっていた。
高校からの帰り道、家のほうが近いのに、わざわざ遠回りして、ともだちとそんな本屋に立ち寄ったのは楽しみで、おとなになって同級生から、ほかのグループのともだちは連れ立って町食堂で、鳥のから揚げやちゃんぽんを食べたりしていたと聞いて、なんだ、そんなことが高校生の身分でできたのだったら、わたしの楽しみはよっぽどささやかなものだったんだ、と笑っている。
東京で暮らした5年間では、出かける先先々で、本屋という本屋に出入りした。
駅ビルにある本屋、駅前の本屋、丸善、紀伊国屋などの本屋、古本屋。
ひとと待ち合わせるのにも、紀伊国屋の何階で、というのが頻繁だった。
青山と銀座に用事が多かったころは、洋書のある両店に立ち寄るのも楽しみだった。
日本の本屋では、ブックカバーになるように包装紙を器用に包んでくれるけど、よその国ではないサービスだろう。
こどもが小さいうちは帰国しても、ゆっくり本屋に立ち寄る余裕はなく、また、日本の情報からも離れて暮らしているから、今時どの著者がおもしろいのかもわからなくて、戸惑う。
こちらの本で、読み返すほど好きな本は買う。
アマゾンやEbayの古本で見つけることが多い。
古本が届くと、東海岸の州の知らない町の図書館からの処分本ということもある。
図書館のスタンプが残っている。
わたしが本を買う場合、新刊を書店から買うということは近年ないから、書籍業界には貢献していないが、一旦出版された本がゴミとして処分されるのを見るのは、できるだけ目の当たりにしたくない。
本という存在に敬意があるが、それがハードカバーでもソフトカバーでも文庫本仕様でも、こだわりはない。読みやすいプリントでありさえすれば、個人的には、むしろかさばらない文庫本がありがたい。
本によっては、人との出会いのように、タイミングが影響することもある。
20年ほども前に買った本をずっと読む気になれなくて、いまさら読んだら、のめりこむように読んで、20年前、10年前の自分には、同じ本がそれほど共鳴できなかったのがわかりながら、いまのわたしをひっそりと待っていた存在に感謝もする。
十代の終わりに夢中になった本は、そのころほどの思い入れは薄れても、いまもなお数年ごとに読み返していて、そのうちのある本の主人公は、あきらそっくりで、その本のせいであきらのことが違う視線で理解できるようでもある。
自分では選ばない本を、ひとが選んで勧めてくれるのも貴重な経験に思う。
知人としてしか知らなかったひとが、かつて同じ本を読んでそれに共感したとわかると、とたんにそのひととの距離が狭まったように感じる。
医師との予約などに出かける際など、まずかの待ち時間に読めるように必ず本を携えている。
家にいて、夕方ジムとニュースを観るときも、ジムが煙草を吸いに中断するとき、読めるように読みかけの本を傍らに置いている。
いちばん最近に図書館で借りた本は、年に2度会う歯科衛生士が勧めてくれた著者のもの。
彼女と会うのは、歯のデイープクリーニングのアポイントメントで、最近何かおもしろい本読んだ?と訊ねあう。
クリーニングにかかる時間はものの40分くらいで、そのほとんどは、わたしの口はあんぐり開いているから、会話は深入りしないし、途切れがちにあるけれど、10年以上のつきあいだから、気心は知れている。この著者は、かかりつけの医師が勧めたそうで、誰かと訊くと、わたしのかかりつけの医師でもある。
この女医は、わたしとこどもたちの主治医で、理由がなんであれ、予約をとると、彼女の患者はわたしたちのみであるかのように、懇切丁寧に相手をする。彼女はわたしにも以前何冊かの本を勧めてくれたことがあって、それは鬱や、子育てに関する本で、どれもどんな処方箋よりも効果があるものだった。
和書、洋書、どんなジャンルでも、勧めてくださるとありがたい。
実家は学校教材を扱う書店で、普通の書店だったらよかったのに、とこども時代はうらめしかったけれど、例えばグレゴリア聖歌や竹下夢二に興味があるというと、母は卸先からアルバム5枚セット、あるいは、10巻セットという形で注文してくれた。数年前の帰国時に、東京で通りがかった古本屋の店頭に、その夢二全集があり、かなりの高値で売りに出されていたのを見た。
そんな家で育ったせいか、時代のせいか、本に対する思いはある。
読みかけのページを広げたまま、表紙を上に置かれているのを見ると、本に失礼じゃないか、痛むじゃないか、と不快だ。
さおりさんと同じく、電子書籍よりも紙製の本がいい。
読みものをするのに、眼鏡が必要になり、電子書籍ならば、文字を拡大できるし疲れないと聞いて試したことがあるけれど、慣れなかった。
旅行時など、電子書籍ならば、かさばらないからいいのはわかっていても、やっぱり本がいい。
視力の衰えがあまりにも苦痛だから、ひとが読んだレコーディングを聴くのも試したけど、やっぱり本がいい。
古本や図書館から借りる本は、前に読んだ人の衛生観念が自分とは違うだろうという多少の不快感もあるけれど、洗えない本であっても、本というものは、穢れないものだという理不尽な”信仰めいた”思いもある。
5つ違いの兄が高校卒業後、京都で浪人、学生時代を過ごし、定期的に段ボールに読み終わった本が、まだ実家にいるわたしに届いた。どれもすべて読んだか。そのうちの数冊は、わたしがそのうち上京し、渡米してもわたしとともにあり、いまも、ある。
未読の本が手元に数冊さると、安心していられる。
気に入りのチョコレートを買い置きしているのと似ていて、自分が食べる前にジムやこどもたちに食べられてしまうのけれど、本はわたしに読まれるのをひたすら待っている。
同じくロンドンにお住まいのMeloさんの読書記録と新聞の日曜版と雑誌の書評には必ず目を通して、読みたい本は書き留める。
英語の本は図書館で借りる。
一度読んだら再度読むのはまずないし、モノが増えるのを避けたいから。
日本語の本は、帰国時に買う。
帰国して、買いたいものも限られていて、近年は、本を持ち帰るのがいちばん嬉しい。
故郷のともだちが、これ、おもしろかったから、と手渡してくれた文庫本はありがたかった。
住んでいる町に本屋はあるけれど、ただ楽しみにうろつくことはない。
デンバーに住んでいた数年は、まだこどもがいなかったせいか、気にいった本屋が数件あったせいか、散歩がてらによく出かけていて、忘れたころに、何かの理由で手に取った手持ちの本に、その店のしおりが挟まっているのに気がついて、なつかしい。
手元にしおりがないときには、近くにあるポストカードや、書きかけのメモ、歯医者の予約カードなどを挟むこともあるから、何年もあとになってそれらに遭遇すると、そっちのほうに見入ってしまう。
こどものころ、ともだちに貸した漫画雑誌をめくっていたら、開いて押しぶされたみかんの皮がぺったんこに挟まっていて、電話帳の押し花みたいだとおかしかった。
日本に住んでいたころは、なにかというと、本屋に入っていた。
ふつうの本屋、古本屋。
実家のある街で入る本屋は、うちとは違うふつうの本屋で、商売の種類は違うとこどものわたしは思っていたけど、親にしてみれば”商売敵”で、わたしや兄がそういうところに行くのを嫌がっていた。
高校からの帰り道、家のほうが近いのに、わざわざ遠回りして、ともだちとそんな本屋に立ち寄ったのは楽しみで、おとなになって同級生から、ほかのグループのともだちは連れ立って町食堂で、鳥のから揚げやちゃんぽんを食べたりしていたと聞いて、なんだ、そんなことが高校生の身分でできたのだったら、わたしの楽しみはよっぽどささやかなものだったんだ、と笑っている。
東京で暮らした5年間では、出かける先先々で、本屋という本屋に出入りした。
駅ビルにある本屋、駅前の本屋、丸善、紀伊国屋などの本屋、古本屋。
ひとと待ち合わせるのにも、紀伊国屋の何階で、というのが頻繁だった。
青山と銀座に用事が多かったころは、洋書のある両店に立ち寄るのも楽しみだった。
日本の本屋では、ブックカバーになるように包装紙を器用に包んでくれるけど、よその国ではないサービスだろう。
こどもが小さいうちは帰国しても、ゆっくり本屋に立ち寄る余裕はなく、また、日本の情報からも離れて暮らしているから、今時どの著者がおもしろいのかもわからなくて、戸惑う。
こちらの本で、読み返すほど好きな本は買う。
アマゾンやEbayの古本で見つけることが多い。
古本が届くと、東海岸の州の知らない町の図書館からの処分本ということもある。
図書館のスタンプが残っている。
わたしが本を買う場合、新刊を書店から買うということは近年ないから、書籍業界には貢献していないが、一旦出版された本がゴミとして処分されるのを見るのは、できるだけ目の当たりにしたくない。
本という存在に敬意があるが、それがハードカバーでもソフトカバーでも文庫本仕様でも、こだわりはない。読みやすいプリントでありさえすれば、個人的には、むしろかさばらない文庫本がありがたい。
本によっては、人との出会いのように、タイミングが影響することもある。
20年ほども前に買った本をずっと読む気になれなくて、いまさら読んだら、のめりこむように読んで、20年前、10年前の自分には、同じ本がそれほど共鳴できなかったのがわかりながら、いまのわたしをひっそりと待っていた存在に感謝もする。
十代の終わりに夢中になった本は、そのころほどの思い入れは薄れても、いまもなお数年ごとに読み返していて、そのうちのある本の主人公は、あきらそっくりで、その本のせいであきらのことが違う視線で理解できるようでもある。
自分では選ばない本を、ひとが選んで勧めてくれるのも貴重な経験に思う。
知人としてしか知らなかったひとが、かつて同じ本を読んでそれに共感したとわかると、とたんにそのひととの距離が狭まったように感じる。
医師との予約などに出かける際など、まずかの待ち時間に読めるように必ず本を携えている。
家にいて、夕方ジムとニュースを観るときも、ジムが煙草を吸いに中断するとき、読めるように読みかけの本を傍らに置いている。
いちばん最近に図書館で借りた本は、年に2度会う歯科衛生士が勧めてくれた著者のもの。
彼女と会うのは、歯のデイープクリーニングのアポイントメントで、最近何かおもしろい本読んだ?と訊ねあう。
クリーニングにかかる時間はものの40分くらいで、そのほとんどは、わたしの口はあんぐり開いているから、会話は深入りしないし、途切れがちにあるけれど、10年以上のつきあいだから、気心は知れている。この著者は、かかりつけの医師が勧めたそうで、誰かと訊くと、わたしのかかりつけの医師でもある。
この女医は、わたしとこどもたちの主治医で、理由がなんであれ、予約をとると、彼女の患者はわたしたちのみであるかのように、懇切丁寧に相手をする。彼女はわたしにも以前何冊かの本を勧めてくれたことがあって、それは鬱や、子育てに関する本で、どれもどんな処方箋よりも効果があるものだった。
和書、洋書、どんなジャンルでも、勧めてくださるとありがたい。
by ymomen
| 2016-11-19 08:45
| 告白
|
Trackback
|
Comments(16)
Commented
by
melocoton2 at 2016-11-19 17:14
リンクありがとうございます。
教科書とか参考書、大好きだったから、羨ましいです。
日本の書店って本の並び方とかが出版社ごとになってていまいちわかりません。書店はアメリカやイギリスの方が好きかも。この頃本屋さんって減ってきちゃいましたよね。
私も電子書籍なんて〜って思っていたのですが、kindle使い始めたら便利すぎてもう手放せません。 せっせと密林に貢いでいます。 日本の本も瞬時にダウンロードできるし(種類は限られていますが)、漫画とかまで読み始めてしまいました。
今日アップしたPoison Studyシリーズすごくオススメですよ。
教科書とか参考書、大好きだったから、羨ましいです。
日本の書店って本の並び方とかが出版社ごとになってていまいちわかりません。書店はアメリカやイギリスの方が好きかも。この頃本屋さんって減ってきちゃいましたよね。
私も電子書籍なんて〜って思っていたのですが、kindle使い始めたら便利すぎてもう手放せません。 せっせと密林に貢いでいます。 日本の本も瞬時にダウンロードできるし(種類は限られていますが)、漫画とかまで読み始めてしまいました。
今日アップしたPoison Studyシリーズすごくオススメですよ。
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もめんさん、こんにちは。
リンクありがとうございました。
本を読むのは大好きですが、本にまつわる思い出話などを読むのも、これまたとっても大好きなので、もめんさんのお話をとても興味深く読ませてもらいました。
ご実家が専門的な書店だったとは初めてお伺いしました。
本に囲まれる生活、小さな頃からとてもいい環境で育ったんですね。
私の母は古本が好きではなかったし、子供の頃は裕福ではありませんでしたから、私が欲しがるたびに本を買ってくれるような家ではなく、いつも本を読むことに飢えていました。
だから自分のお金で本が買えるようになると、読める以上に買ってしまって、これはたぶん読む楽しみよりも手に入れる楽しみを心が求めているのかもしれない、と思うようになりました。
自分の体験を元に子供たちにはなるべく本を与えていますが、そうすると逆にあまり読もうとしないものですね。
心が渇望するくらいの量が丁度良いってことなのかしら(苦笑)
アメリカの本屋さん事情気になっていました。英国に比べると土地も広大だし、きっと本屋さんがない街もたくさんあるのでしょう。
だからこそアマゾンのような通販会社も発展したのだろうし、、、
たまにはもめんさんが読まれて面白かった本もまた紹介してくださいね。英・日問わずリクエストします!
リンクありがとうございました。
本を読むのは大好きですが、本にまつわる思い出話などを読むのも、これまたとっても大好きなので、もめんさんのお話をとても興味深く読ませてもらいました。
ご実家が専門的な書店だったとは初めてお伺いしました。
本に囲まれる生活、小さな頃からとてもいい環境で育ったんですね。
私の母は古本が好きではなかったし、子供の頃は裕福ではありませんでしたから、私が欲しがるたびに本を買ってくれるような家ではなく、いつも本を読むことに飢えていました。
だから自分のお金で本が買えるようになると、読める以上に買ってしまって、これはたぶん読む楽しみよりも手に入れる楽しみを心が求めているのかもしれない、と思うようになりました。
自分の体験を元に子供たちにはなるべく本を与えていますが、そうすると逆にあまり読もうとしないものですね。
心が渇望するくらいの量が丁度良いってことなのかしら(苦笑)
アメリカの本屋さん事情気になっていました。英国に比べると土地も広大だし、きっと本屋さんがない街もたくさんあるのでしょう。
だからこそアマゾンのような通販会社も発展したのだろうし、、、
たまにはもめんさんが読まれて面白かった本もまた紹介してくださいね。英・日問わずリクエストします!
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ymomen at 2016-11-21 05:03
meloさん
わたしが試した電子書籍は、Kindleではないので、扱いにくかったのかもしれません。
使いこなせるようになったら、手放せないと思うようになるのかも。
Meloさんの書評、参考になっています。
おっしゃるシリーズ、ぜひ読みます。
Meloさんもさおりさんも指摘なさるとうり、書店が減っていますね。
アマゾンができて、わたしはそれがどういうものか知らなかったときに、ある書店で友人と本を選んでいたとき、彼女が小声で、それを買うんなら、アマゾンで買ったほうが安いよ、と言うのに、そんなことがあるのか、とびっくりしたけど、そのときから、何を買うにしても、小売価格で買うのはもったいないという意識ができたようです。
教科書の類がお好きって、おもしろいですね。
そういわれれば、いまになって、こどもたちが家に持ち帰る歴史の本などめくっては、おもしろいと思うようになりました。
わたしが試した電子書籍は、Kindleではないので、扱いにくかったのかもしれません。
使いこなせるようになったら、手放せないと思うようになるのかも。
Meloさんの書評、参考になっています。
おっしゃるシリーズ、ぜひ読みます。
Meloさんもさおりさんも指摘なさるとうり、書店が減っていますね。
アマゾンができて、わたしはそれがどういうものか知らなかったときに、ある書店で友人と本を選んでいたとき、彼女が小声で、それを買うんなら、アマゾンで買ったほうが安いよ、と言うのに、そんなことがあるのか、とびっくりしたけど、そのときから、何を買うにしても、小売価格で買うのはもったいないという意識ができたようです。
教科書の類がお好きって、おもしろいですね。
そういわれれば、いまになって、こどもたちが家に持ち帰る歴史の本などめくっては、おもしろいと思うようになりました。
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ymomen at 2016-11-21 05:36
さおりさん、
わたしがこども時代を過ごした部屋には、いわゆる文部省が推奨するような文学集がセットで並んでいて、いかにも”読め”とわたしに言っているみたいで、読む気分になれなかったものでした。
おとなになってから、いざ読んだら案外おもしろくて、もっと早くに読めばよかったと後悔したものもあります。
確かにアメリカでも書店は少なくなっているみたいです。
本は本に印刷されている値段で売買されるものだという常識がなくなってから、また、アマゾンで例えばこどもの学校で買うように言われた本をオーダーすると同時に、必要な日用品も買いそろえるというようになると、いちいち書店に行かなくなるのです。送料も無料となると、出かけるガソリン代もかからない、となって、ますます出不精の言い訳になる。
みあもあきらも、家にいるとき、すすんで楽しみ本を読むということがない。
みあは特に宿題がらみで読まなければならないものに負われて、楽しみに読むものまで気が回らないようです。
読みなさいというと読みたがらないだろうから、何も言わない。
わたしも高校半ばまでそう読まなかったかも。
気に入った本、紹介させていただきますね。
わたしがこども時代を過ごした部屋には、いわゆる文部省が推奨するような文学集がセットで並んでいて、いかにも”読め”とわたしに言っているみたいで、読む気分になれなかったものでした。
おとなになってから、いざ読んだら案外おもしろくて、もっと早くに読めばよかったと後悔したものもあります。
確かにアメリカでも書店は少なくなっているみたいです。
本は本に印刷されている値段で売買されるものだという常識がなくなってから、また、アマゾンで例えばこどもの学校で買うように言われた本をオーダーすると同時に、必要な日用品も買いそろえるというようになると、いちいち書店に行かなくなるのです。送料も無料となると、出かけるガソリン代もかからない、となって、ますます出不精の言い訳になる。
みあもあきらも、家にいるとき、すすんで楽しみ本を読むということがない。
みあは特に宿題がらみで読まなければならないものに負われて、楽しみに読むものまで気が回らないようです。
読みなさいというと読みたがらないだろうから、何も言わない。
わたしも高校半ばまでそう読まなかったかも。
気に入った本、紹介させていただきますね。
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こんた
at 2016-11-30 20:27
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私の心の本は
1 銀河鉄道の夜 宮沢賢治
2 セレンデイツプ(serendipity)の三人の王子たち
3 若きウェルテルの悩み ゲーテ
の3冊です。どれも小中高の変わり目に読み、今もこの三冊は我が家の本棚に居ます。
1 銀河鉄道の夜 宮沢賢治
2 セレンデイツプ(serendipity)の三人の王子たち
3 若きウェルテルの悩み ゲーテ
の3冊です。どれも小中高の変わり目に読み、今もこの三冊は我が家の本棚に居ます。
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ymomen at 2016-12-02 06:11
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こんた
at 2016-12-02 17:21
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私はエッセイが好きで、特に米原万里さんの本は買い揃えてます。落ち込んだらそれを読むと
笑えるんです。英語ももっと読まなくちゃーと思って、今は村上春樹の1Q84の英訳を読んで
ます。Kazuo IshiguroのNever let me goも好き。映画を最初に見て本を読みました。
笑えるんです。英語ももっと読まなくちゃーと思って、今は村上春樹の1Q84の英訳を読んで
ます。Kazuo IshiguroのNever let me goも好き。映画を最初に見て本を読みました。
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ymomen at 2016-12-05 07:47
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ymomen at 2016-12-05 08:00
mgさん
米原さんの本は”旅行者の朝食”を持っています。
おもしろかったので、もっと彼女の作品を読みたいと思っていました。
村上さんの著書は一冊も読んでいないです。
こちらでも高く評価されているようですね。
石黒さんの名前はあちこちでローマ字綴りで見かけていて、どういうひとなんだろうかと不思議に思っていて、いま検索してみたら、イギリス国籍をお持ちで日本生まれの方なんですね。
知りませんでした。著書を拝読したいです。
わたしもエッセイが好きです。
日本語の本が簡単に入手できればそのほうがいいのだけど、わたしの住んでいるところではそういうわけにもいかないので、英語の本を読んでいます。
アメリカで、日本の古本がネットで買えるようになったらいいんだけど。。。
米原さんの本は”旅行者の朝食”を持っています。
おもしろかったので、もっと彼女の作品を読みたいと思っていました。
村上さんの著書は一冊も読んでいないです。
こちらでも高く評価されているようですね。
石黒さんの名前はあちこちでローマ字綴りで見かけていて、どういうひとなんだろうかと不思議に思っていて、いま検索してみたら、イギリス国籍をお持ちで日本生まれの方なんですね。
知りませんでした。著書を拝読したいです。
わたしもエッセイが好きです。
日本語の本が簡単に入手できればそのほうがいいのだけど、わたしの住んでいるところではそういうわけにもいかないので、英語の本を読んでいます。
アメリカで、日本の古本がネットで買えるようになったらいいんだけど。。。
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at 2017-05-09 02:20
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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ymomen at 2017-05-10 13:06
who are you??? さん
転校生でしたか?
わたし、おしゃべりだったでしょうか。
ビルマ、ああいうタイプの先生はいまどきいないでしょう。
こんなコメントをいただいたのは初めてでうれしいです。
もしかしたら、このひとかもしれないという思いはあるけれど、間違っているかもしれない。
差し支えなければ、再び鍵つきコメントでメイルアドレスいただけますか?
最後になりましたが、お元気ですか?
年月が過ぎました。
お会いしなかった間に、お互いいろんなことがありましたね。
転校生でしたか?
わたし、おしゃべりだったでしょうか。
ビルマ、ああいうタイプの先生はいまどきいないでしょう。
こんなコメントをいただいたのは初めてでうれしいです。
もしかしたら、このひとかもしれないという思いはあるけれど、間違っているかもしれない。
差し支えなければ、再び鍵つきコメントでメイルアドレスいただけますか?
最後になりましたが、お元気ですか?
年月が過ぎました。
お会いしなかった間に、お互いいろんなことがありましたね。
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at 2017-05-12 01:54
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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ymomen at 2017-05-12 03:38
> whoareyou?さん
いまはどちらにお住まいですか?
竹田からは遠地にいらっしゃるようなので、竹田には短い間しかおられなかった気配がしたので、転校生だったのだろうと想像しますが、こどものころは、転校生がうらやましかった。早く竹田から出たかったけれど、いまになっては竹田はわたしいとってかけがえのないところです。わたしが竹田に住まなくなってから、竹楽という秋のお祭りが催されるようになって、いつかそれにあわせて帰りたいです。最後に竹田にいらしたのはいつですか?
おっしゃるように、みあは、わたしに似ているとよく言われます。
わたしのこどものころの写真をひとが見て、集合写真でもすぐわたしだとわかるのは、みあにそっくりだから、だそうです。
更新が途絶えているのは、胸につかえていることがあるからで、あることを書きかけても、どうも書けない。ある時期にはなんともなしに、さらさら更新できていたのに。以前の記事を読み返してみると、ほんとうにこのわたしが書いたのだろうかとふしぎなくらい。実は初恋のことなんて書いたということなんて、すっかり忘れています。
いまはどちらにお住まいですか?
竹田からは遠地にいらっしゃるようなので、竹田には短い間しかおられなかった気配がしたので、転校生だったのだろうと想像しますが、こどものころは、転校生がうらやましかった。早く竹田から出たかったけれど、いまになっては竹田はわたしいとってかけがえのないところです。わたしが竹田に住まなくなってから、竹楽という秋のお祭りが催されるようになって、いつかそれにあわせて帰りたいです。最後に竹田にいらしたのはいつですか?
おっしゃるように、みあは、わたしに似ているとよく言われます。
わたしのこどものころの写真をひとが見て、集合写真でもすぐわたしだとわかるのは、みあにそっくりだから、だそうです。
更新が途絶えているのは、胸につかえていることがあるからで、あることを書きかけても、どうも書けない。ある時期にはなんともなしに、さらさら更新できていたのに。以前の記事を読み返してみると、ほんとうにこのわたしが書いたのだろうかとふしぎなくらい。実は初恋のことなんて書いたということなんて、すっかり忘れています。
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at 2017-06-15 00:25
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by
ymomen at 2017-06-15 11:28
Who are youさん、
自身は更新を怠っていながら、常に更新を追っている方はおり、それらの方の更新を確認する際、自分のブログに新たなコメントがあればわかる仕組みになっていて、それが過去の記事についてであっても、そうなのです。
あなたのように、あるキーワードの検索でわたしの記事にたどり着くという場合もあり、何年も前の記事にコメントいただくことはあり、それを機会に当時の自分の記事を読んで、こんなときもあったと思い出すことはありがたいです。
あなたがどなたなのか、いまのところはわからないです。
知人程度、と言われてますますわからない。
中学校のときのアルバムは持っておらず、1年生の顔ぶれは覚えていません。ただ、ビルマ、とおっしゃるからには、はったりで首藤先生の名前を知っているはずはないから、同級生には違いない。
知りたいけれど、知られたくないのならば、無理強いはしたくない。
コメントをいただくのは、これでおしまいだろうかと思っていたから、いただいて幸いです。
自分を卑下したくないけど、実際以上に見せるのもいやなので、できるだけありのままの自分を書いているつもりです。
ブログを始めたのは、まだこどもたちがごく小さかったころのことで、いつかこどもたちが読んでわたしのことを、こどもたち自身のことを思い出してくれたらいいと思ったのがひとつの理由です。
こども時代に書いた作文のつもりで書きます。
いつか竹田に帰省されてはいかがですか?
案外みんな覚えているんじゃないかな。
竹田や大分に残っている同級生はまだいて、みんな優しい。
数年前、中学の同窓会したそうです。
わたしは帰省できなかったけど、帰省するたびに数人には必ず会います。
2年前のいまごろが最後の帰省でしたが、20人くらい集まってくれて楽しかったですよ。
竹田のことだから、中学も高校も顔ぶれはあんまり変わらない。
いつかみんなで会えたらいいですね。
自身は更新を怠っていながら、常に更新を追っている方はおり、それらの方の更新を確認する際、自分のブログに新たなコメントがあればわかる仕組みになっていて、それが過去の記事についてであっても、そうなのです。
あなたのように、あるキーワードの検索でわたしの記事にたどり着くという場合もあり、何年も前の記事にコメントいただくことはあり、それを機会に当時の自分の記事を読んで、こんなときもあったと思い出すことはありがたいです。
あなたがどなたなのか、いまのところはわからないです。
知人程度、と言われてますますわからない。
中学校のときのアルバムは持っておらず、1年生の顔ぶれは覚えていません。ただ、ビルマ、とおっしゃるからには、はったりで首藤先生の名前を知っているはずはないから、同級生には違いない。
知りたいけれど、知られたくないのならば、無理強いはしたくない。
コメントをいただくのは、これでおしまいだろうかと思っていたから、いただいて幸いです。
自分を卑下したくないけど、実際以上に見せるのもいやなので、できるだけありのままの自分を書いているつもりです。
ブログを始めたのは、まだこどもたちがごく小さかったころのことで、いつかこどもたちが読んでわたしのことを、こどもたち自身のことを思い出してくれたらいいと思ったのがひとつの理由です。
こども時代に書いた作文のつもりで書きます。
いつか竹田に帰省されてはいかがですか?
案外みんな覚えているんじゃないかな。
竹田や大分に残っている同級生はまだいて、みんな優しい。
数年前、中学の同窓会したそうです。
わたしは帰省できなかったけど、帰省するたびに数人には必ず会います。
2年前のいまごろが最後の帰省でしたが、20人くらい集まってくれて楽しかったですよ。
竹田のことだから、中学も高校も顔ぶれはあんまり変わらない。
いつかみんなで会えたらいいですね。