2013年 06月 18日
雑草 |
こんな乾燥した土地でも、雑草は生えます
日中、摂氏40度を越える日もあるなか、珍しく風のある日に裏庭で雑草を抜いていたら、近所のともだちが通りがかって、ガーデニングにはいい日ね、と言うのに、ガーデニングじゃなくて雑草採りよ、と返事をしたのは、雑草を抜くという作業を、自分のなかで歓迎していない意識があるからでしょう
抜いても抜いても生える雑草を抜きながら、だんだん腰から背中にかけて痛んでくるにつれて、腹立たしい思いがあるからか
こんなことをしている時間が無駄に思えることもある
夏の間、うちの庭仕事というとそのほとんどの作業は、雑草を抜くこと
仔犬がうちに来てから、牝犬の放尿のせいで、芝は枯れ、荒れ放題
芝が死んだところにも、雑草は生える
いままで芝を植えても犬が掘り返すだろうから、今年はこのままにしておくことにした
雑草抜きも家事のうち
しゃがみこんで雑草を抜いていると、自分と雑草の根競べと思う
どっちが強いかというとたぶん雑草
雑草の生命力
どこにも生えて、抜かれてもまた生えてくる
母としてしょっちゅうくじけている自分は、雑草くらいたくましくないと、と思う
ただひたすらに汗まみれになりながら、体の痛みに堪えながら雑草を抜いていると、自分と向き合えることもわかった
ふだんゆっくり考えられないことを、しみじみ考えてみたり
永く思い出すことのなかったことを思い出したり
自分の罪を改めて悔いたり
いまみあと観ているテレビドラマで、癇に障るキャラクターがいて、彼女を見るにつけいらいらするのは、実は彼女が自分に似ているからだと気がついたり
雑草抜きに費やす時間は無駄なようでも、わたしのその時間が、たとえば日曜日に数時間教会に通っているひとがそれに費やす時間に当たると思えば、たいした時間ではなくて、自分は雑草抜きというかたちで一種の精神のリセットをしている
根っこからすっときれいに抜ける雑草もあれば、根は残り地上に出ている葉だけむなしくぶちりとむしるに終わることもある
ちぎれた茎や葉から白い粘着性のある液体が出て、素手に着いた土と混じってこびりつき、ちょっと洗うだけではとれない
爪の間に入り込んだ土も完全にはとれない
うちに常備しているいちばん大きい黒いゴミ袋に雑草をいっぱいになるまで詰めると、重すぎて運べないし、その重みで破れてしまう
その次に大きい白いゴミ袋だとちょうどいいけど、いっぱいに詰めるとやはりその重みで破けるから、もう少し入るんだけどな、というところで封をする
雑草抜きの作業を始めるときは、はじめの一袋をいっぱいにするのがそのときのわたしのゴール
それができたら、もう一袋いけそうだ、と思う
そしてその一袋が新しいゴール
そうやっていくつまでいけるか
だいたい1時間で二袋のペース
こどもを習い事に送り届けなければいけない、という用事があるときには、作業を中断してシャワーを浴びて化粧もしなおして出かける
車での送り迎えなんだから、作業している格好のままちょっと出かけてまた帰ってきて作業を続ければ、とも思うけど、途中誰に会うかわからないし、まさかの事故にかかわって、予定以外の足止めに遭ったときに、あんまり汚らしい姿では恥ずかしいと思うから
だから日に2-3度シャワーを浴びることになる
作業の直後に浴びるのはほとんど水の温度のシャワー
浴びる前に、腕をなめたら塩の味
どれだけの塩分が皮膚から排泄されるのだろう
庭仕事用の、豚の皮でできた手袋を持っているけど、素手の作業のほうがはかどるようだから、あんまり使わない
笹の葉のような長い繊維の固い雑草を抜くときは、手のひらを切りそうだから、手袋を使う
棘のある蒲公英の葉の場合も
野草の向日葵にも細かい棘がある
砂利の隙間にはスコーピオンが潜んでいることもあるから、手袋、使うほうが安心
一度刺されました
あっ、と声が出る痛み
雑草を抜く間、愛犬たちはわたしが移動するに任せてついてくる
”あんたたちも暇なら一緒に雑草抜いてくれると助かるんだけどねえ”
犬には指がないから雑草抜きはできない相談
オーストラリアンシェパードは、働き者だから、できるものならきっと助けてくれているはず
日中、摂氏40度を越える日もあるなか、珍しく風のある日に裏庭で雑草を抜いていたら、近所のともだちが通りがかって、ガーデニングにはいい日ね、と言うのに、ガーデニングじゃなくて雑草採りよ、と返事をしたのは、雑草を抜くという作業を、自分のなかで歓迎していない意識があるからでしょう
抜いても抜いても生える雑草を抜きながら、だんだん腰から背中にかけて痛んでくるにつれて、腹立たしい思いがあるからか
こんなことをしている時間が無駄に思えることもある
夏の間、うちの庭仕事というとそのほとんどの作業は、雑草を抜くこと
仔犬がうちに来てから、牝犬の放尿のせいで、芝は枯れ、荒れ放題
芝が死んだところにも、雑草は生える
いままで芝を植えても犬が掘り返すだろうから、今年はこのままにしておくことにした
雑草抜きも家事のうち
しゃがみこんで雑草を抜いていると、自分と雑草の根競べと思う
どっちが強いかというとたぶん雑草
雑草の生命力
どこにも生えて、抜かれてもまた生えてくる
母としてしょっちゅうくじけている自分は、雑草くらいたくましくないと、と思う
ただひたすらに汗まみれになりながら、体の痛みに堪えながら雑草を抜いていると、自分と向き合えることもわかった
ふだんゆっくり考えられないことを、しみじみ考えてみたり
永く思い出すことのなかったことを思い出したり
自分の罪を改めて悔いたり
いまみあと観ているテレビドラマで、癇に障るキャラクターがいて、彼女を見るにつけいらいらするのは、実は彼女が自分に似ているからだと気がついたり
雑草抜きに費やす時間は無駄なようでも、わたしのその時間が、たとえば日曜日に数時間教会に通っているひとがそれに費やす時間に当たると思えば、たいした時間ではなくて、自分は雑草抜きというかたちで一種の精神のリセットをしている
根っこからすっときれいに抜ける雑草もあれば、根は残り地上に出ている葉だけむなしくぶちりとむしるに終わることもある
ちぎれた茎や葉から白い粘着性のある液体が出て、素手に着いた土と混じってこびりつき、ちょっと洗うだけではとれない
爪の間に入り込んだ土も完全にはとれない
うちに常備しているいちばん大きい黒いゴミ袋に雑草をいっぱいになるまで詰めると、重すぎて運べないし、その重みで破れてしまう
その次に大きい白いゴミ袋だとちょうどいいけど、いっぱいに詰めるとやはりその重みで破けるから、もう少し入るんだけどな、というところで封をする
雑草抜きの作業を始めるときは、はじめの一袋をいっぱいにするのがそのときのわたしのゴール
それができたら、もう一袋いけそうだ、と思う
そしてその一袋が新しいゴール
そうやっていくつまでいけるか
だいたい1時間で二袋のペース
こどもを習い事に送り届けなければいけない、という用事があるときには、作業を中断してシャワーを浴びて化粧もしなおして出かける
車での送り迎えなんだから、作業している格好のままちょっと出かけてまた帰ってきて作業を続ければ、とも思うけど、途中誰に会うかわからないし、まさかの事故にかかわって、予定以外の足止めに遭ったときに、あんまり汚らしい姿では恥ずかしいと思うから
だから日に2-3度シャワーを浴びることになる
作業の直後に浴びるのはほとんど水の温度のシャワー
浴びる前に、腕をなめたら塩の味
どれだけの塩分が皮膚から排泄されるのだろう
庭仕事用の、豚の皮でできた手袋を持っているけど、素手の作業のほうがはかどるようだから、あんまり使わない
笹の葉のような長い繊維の固い雑草を抜くときは、手のひらを切りそうだから、手袋を使う
棘のある蒲公英の葉の場合も
野草の向日葵にも細かい棘がある
砂利の隙間にはスコーピオンが潜んでいることもあるから、手袋、使うほうが安心
一度刺されました
あっ、と声が出る痛み
雑草を抜く間、愛犬たちはわたしが移動するに任せてついてくる
”あんたたちも暇なら一緒に雑草抜いてくれると助かるんだけどねえ”
犬には指がないから雑草抜きはできない相談
オーストラリアンシェパードは、働き者だから、できるものならきっと助けてくれているはず
by ymomen
| 2013-06-18 05:00
| ガーデニング
|
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Comments(2)
Commented
at 2013-06-19 21:33
x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
ymomen at 2013-06-20 03:34
鍵さん
そんなことがありましたか
ひととの付き合いには、いろいろありますよね
深入りするとこじれるのが恐くて、つい浅いつきあいになることが多い
だからボランティアなど、目的のあるところに出ていかないほかは、ひとりで本を読んだり庭仕事にふけるようになったのかもしれません
こどもがいるからそのつきあいがあって、家にこもってばかりもいられないのが現実
ときには、ひとが自分をどう思おうがどうでもいい、と割り切るのもあり、ですよ
土いじりをしていると、しんどいながらも精神は落ち着いて、自分があこがれるものに近いところにいるように感じます
そのあとに冷たいシャワーを浴びると、こびりついた土や汗と一緒に排斥したいものをきれいさっぱり洗い流せるように思う
ある意味、わたしにとってはデトックスです
スパに出かけるのは貧乏性のわたしにはできないのだけど、これがわたしにはスパほどの効果があると自認しています
鍵さんは宗教をお持ちだから、雑草抜きをするので得られる精神のリセットを、教会に通われる方と比べた箇所が失礼にあたらなければいいと懸念していました
そんなことがありましたか
ひととの付き合いには、いろいろありますよね
深入りするとこじれるのが恐くて、つい浅いつきあいになることが多い
だからボランティアなど、目的のあるところに出ていかないほかは、ひとりで本を読んだり庭仕事にふけるようになったのかもしれません
こどもがいるからそのつきあいがあって、家にこもってばかりもいられないのが現実
ときには、ひとが自分をどう思おうがどうでもいい、と割り切るのもあり、ですよ
土いじりをしていると、しんどいながらも精神は落ち着いて、自分があこがれるものに近いところにいるように感じます
そのあとに冷たいシャワーを浴びると、こびりついた土や汗と一緒に排斥したいものをきれいさっぱり洗い流せるように思う
ある意味、わたしにとってはデトックスです
スパに出かけるのは貧乏性のわたしにはできないのだけど、これがわたしにはスパほどの効果があると自認しています
鍵さんは宗教をお持ちだから、雑草抜きをするので得られる精神のリセットを、教会に通われる方と比べた箇所が失礼にあたらなければいいと懸念していました
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