2009年 04月 27日
1時間半 |
平日でも週末でも夕刻以降に、社交の場に出ることが久しい生活に慣れると、もう出かけるのが億劫でしかなくなります。
一度思い切って出かけて、そう悪くなかったと思っても、次の機会には、また欠席の言い訳ばかりを考えている。
それでも、昨夜ばかりは、かかわっているアートセンターの夜のイベントにどうしても顔を出さねばならず。
ジムが7時過ぎに帰宅して、ちょっとだけ挨拶したら帰ってくると言い置いて出かけました。
こういう催しには、夫婦そろって出かけるのがこちらでは当たり前なのですが、わたしはひとりで。
ちょっと顔を出せばそれですむと思ったから、ベビーシッターを頼むほどのことではないと思いました。
ベビーシッターがいればジムも一緒に行けましたが。
出かけて、グラス2杯のお酒を飲んで、挨拶すべきひとと話をして1時間半。
たった1時間半のことですが、ジムともこどもたちをも伴わずに、ひとりで出かけるところがあるのは、もしかしたらこれは貴重なことなのかもしれないと、帰りの車の中で思いました。
ふだんの生活のなかでは、外に出れば、みあとあきらのママ、ジムのワイフ、という存在ですが、誰に付随する存在ではない、わたしという存在が認められている場所があるということに、気がついた夜でした。
一度思い切って出かけて、そう悪くなかったと思っても、次の機会には、また欠席の言い訳ばかりを考えている。
それでも、昨夜ばかりは、かかわっているアートセンターの夜のイベントにどうしても顔を出さねばならず。
ジムが7時過ぎに帰宅して、ちょっとだけ挨拶したら帰ってくると言い置いて出かけました。
こういう催しには、夫婦そろって出かけるのがこちらでは当たり前なのですが、わたしはひとりで。
ちょっと顔を出せばそれですむと思ったから、ベビーシッターを頼むほどのことではないと思いました。
ベビーシッターがいればジムも一緒に行けましたが。
出かけて、グラス2杯のお酒を飲んで、挨拶すべきひとと話をして1時間半。
たった1時間半のことですが、ジムともこどもたちをも伴わずに、ひとりで出かけるところがあるのは、もしかしたらこれは貴重なことなのかもしれないと、帰りの車の中で思いました。
ふだんの生活のなかでは、外に出れば、みあとあきらのママ、ジムのワイフ、という存在ですが、誰に付随する存在ではない、わたしという存在が認められている場所があるということに、気がついた夜でした。
by ymomen
| 2009-04-27 10:22
| 告白
|
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|
Comments(2)
そういう場所があるってちょっとうらやましい気がします。
それだけもう生活の場に根を下ろしている、と言うことですよね。
夫の友人たちと会うことが結婚してからよくあるのですが、ずっとそれが面倒で仕方ありませんでした。
夫にとっては友人でも私にとってはただの他人ですから。
共通の話題もないし、何を話したらいいのかもわからなくて、出かけるのが面倒で仕方なかったです。
最近ようやく慣れてきて何度か会う人とは話す内容も出来てきたので、なんとなく面倒だけれど、以前のように絶対に行きたくない、とは思わなくなったかも。
いずれあと何年かしたら私ももめんさんのように一人で出かける場所が出来るようになるかしら?
それだけもう生活の場に根を下ろしている、と言うことですよね。
夫の友人たちと会うことが結婚してからよくあるのですが、ずっとそれが面倒で仕方ありませんでした。
夫にとっては友人でも私にとってはただの他人ですから。
共通の話題もないし、何を話したらいいのかもわからなくて、出かけるのが面倒で仕方なかったです。
最近ようやく慣れてきて何度か会う人とは話す内容も出来てきたので、なんとなく面倒だけれど、以前のように絶対に行きたくない、とは思わなくなったかも。
いずれあと何年かしたら私ももめんさんのように一人で出かける場所が出来るようになるかしら?
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ymomen at 2009-04-28 03:34
Saoriさん、
住む土地にこういうふうにかかわりを持つようになるには、かなりの年月がかかりました。
もともとこういう場にゆかりのあるひとは、地元のひとばかりという土地柄ですし。
わたしにとってのきっかけは、みあがバレエを習っているところがアートセンターに付属しているところで、どんな細かいコスチュームの直しも手入れも引き受けてきたことと、2年前の日本文化展で思いがけなく、わたしの場が与えられたことでした。
以前のわたしはジムと出かけると、おいてけぼりにされるのがいやで、絶対わたしのそばを離れないでいてよ、と念を押すのが決まりでしたが、そういう自分がいやでした。
こどもができて、だんだん自分も変わってきたかもしれないと思います。
住む土地にこういうふうにかかわりを持つようになるには、かなりの年月がかかりました。
もともとこういう場にゆかりのあるひとは、地元のひとばかりという土地柄ですし。
わたしにとってのきっかけは、みあがバレエを習っているところがアートセンターに付属しているところで、どんな細かいコスチュームの直しも手入れも引き受けてきたことと、2年前の日本文化展で思いがけなく、わたしの場が与えられたことでした。
以前のわたしはジムと出かけると、おいてけぼりにされるのがいやで、絶対わたしのそばを離れないでいてよ、と念を押すのが決まりでしたが、そういう自分がいやでした。
こどもができて、だんだん自分も変わってきたかもしれないと思います。